ベルギー2部で奮闘する19歳・古賀俊太郎 15歳で単身渡欧、前例のない道筋でプロに
ヨーロッパで上った大人の階段
ズウォレの下部組織でプレーしていた時期の古賀。オランダではプロになれず 【中田徹】
「イングランドでも、オランダでも、ヨーロッパに来てからピッチ外の障害がいろいろありました。それを抱えながら、こっちでサッカーをしていたけれど、自分の中で消化できない日々が長かった。自分のせいでもないけれど、誰かのせいにできるような問題でもない。18歳になったら、ヨーロッパではもう未成年ではなく、大人として見られるようになりました。
夏にはセルクル・ブルージュのテストを受けて、現場から『欲しい』と言われましたが、選手獲得の決定権は(セルクル・ブルージュのオーナークラブである)モナコにあって、結局、契約できませんでした。(フランスの)トロワでも長いことテストを受けて、感触は良かったのに契約が見送られた。そして、最終的にウニオンと契約できた。いろいろな経験をして、自分の中で吹っ切れて、単純に強くなれました」
――確かに、強くなっていなかったら、もう日本に帰っていたかもしれませんね。
「『日本に来れば』と言って誘ってくれるクラブもありました。母も、僕のことを心配して『帰ってきた方がいいんじゃない』と言ってくれた。それでも、自分はこっちでやれるという自信が揺らがなかった。15歳でイングランドに来てから19歳でプロになるまで遠回りしたと思うけれど、遠回りしていないような気もしています。
自分は生まれてから15歳まで人生に挫折することなく順風満帆にきました。貧乏な家に生まれたわけでもなく、家族にも恵まれ、不自由なく食べることができた。学校の中では運動神経も良かったし、勉強も普通にできたし、学校ではいい感じのガキでした(笑)。英語・水泳・サッカーと習い事もさせてもらった。ヨーロッパに来てからは苦しいことの方が多くて、それで今、バランスが取れているのかなと思います」
――ジュニアユースからユースに上がって、日本でプロになっていたら……。
「ズウォレとかヴェルディでプロとしてデビューしていたら、人生のつらい部分、普通の人が目を背けたくなるような部分を学ばずにたどり着いていたかもしれない。それを思うと、多分、すぐに終わっていたのかもしれないと思います」
――「終わっていた」とは?
「2年前に(ズウォレと契約して)プロデビューをしていたら、もっと有名になっていただろうし、もっとお金を稼いでいただろうけれど、天狗になって終わっていたのかもしれない」
――以前、「8月27日の誕生日にズウォレと契約することに決まりました」という連絡をくれましたよね。その話が流れたというのは、どうして?
「そこに関しては、正直に言って代理人に任せていたので、自分でも分からない部分が多いんです。『そういうこともあるんだ』ということしか言えない。それが海外、それがサッカーの世界。そのことに対して『ありがたい』とまでは言えないですけれど、それが今の自分を作ってくれた。成功して今までのいろいろなことを全部思い出して『あれがあって良かった』と言いたいですね」
――8月27日の前後は、周りから何も言われることもなく、日にちが過ぎていった?
(うなずく)
――ズウォレでは「僕は(ヴェルディで)簡単にプロになるのが嫌だった」と言っていました。
「その通りになりましたね。でも、今こういう結果になるということは分からずにその言葉を言っていました。 この4年間は、自分が思い描いていたものとは違います。だけど、その時間が必要なものであったということは、今感じています。自分は他の19歳とは違うと思いますし、ワクワクしています」
「僕の人生は今まで前例がない」
黄色がチームカラーのウニオンは、ベルギー2部で昇格を目指して戦っている 【Getty Images】
「こんなに若い時から海外で一人暮らしをしている19歳も、なかなかいませんよね。15歳でレスターに行ってから、不安しかなかった。やっぱり前例がなく、プランが見えなかったから。ヴェルディのジュニアユースからユースに行けば、その後、プロになるもならないも何千という前例があったわけです。ただ、僕の人生は今まで前例がないから、自分にはプランが見えませんでした。
今でも『プランが見えているのか』と聞かれたら答えるのが難しいですけれど、逆にプランを考えずに1年1年、自分が一番高いレベルでプレーし続ければいいんだと思っています。どこの国であれ、どこのカテゴリーであれ、それが大事だと思っている。2年前のインタビューでも自分は『これから』と言ったのですが、本当にやっとスタートラインに立てた。楽しみです」
――ズウォレの時に関しては「代理人に任せるだけでなく、自分から監督やGM(ゼネラルマネージャー)に直接話をしにいけば良かった」と言っていました。レスター時代に関して、何か思い残したことは?
「例えば『もっと考えてサッカーしておけば良かったかな』とか。でも、そういうことって、5年後に今のことを振り返ってもそう思うだろうし、40歳になっても35歳の時のことを思い返してそう思うだろうし……」
――本当にその通りですね。
「だから、甘えるわけじゃないですけれど、その当時は全力で頑張っていたと思った方が、前には進めるのかなと思います。今ならレスター時代のことを『もっと自分から英語を話せば良かった』『もっと貪欲にプレーすれば良かった』『もっと我を出してプレーすれば良かった』と思いますが、それは常に思い返したら感じること。若かったですからね」
――これまでの「ああした方が良かった。こうした方が良かった」という思い。それを今、生かせていますか?
「はい。今、ウニオンにいることを無駄にしたくないです。ベルギー人の選手はユース時代にトップクラブでプレーしたり、プロとして1部リーグでプレーした経験のある選手がほとんどなので、『自分はここのレベルではない』と考えてモチベーションの低い選手が多い。クラブ、カテゴリーにかかわらず、今の状況に感謝していない選手が、海外にはたくさんいると思います」
――それを知っただけでも、この4年間は無駄にならなかったのでは?
「変な話、自分も日本にいた時はヴェルディでプレーすることが当たり前になって、感謝をしていませんでした。そのまま(順風満帆に)進んでいたら、『自分はプレミアリーグでやれる才能があるんだ』と勘違いしていたかもしれない。今も『自分はプレミアでやれる』とは思っています。ただ、それを信じているのと、今の環境に感謝しないのは別の話。ベルギーの2部でプレーしていることを、周りからどう思われるのかは分かりませんし、自分でも満足しているつもりは全くないですけれど、今の事実はここ。そのことを心の底から毎日感謝してプレーすることだけを、今は考えています」
――高校サッカーの話を聞いているような気がしてきました。
「そうですね。よく日本代表では『高校サッカー出身の選手の方が活躍している』という話を聞きます。ユースの選手だろうが、エリートだろうが、そういう部分を学ばないといけない。夢を継続して、ベルギーでやっていきたいです」
――高体連出身の選手がプロになって活躍するのには、ちゃんと理由がある、と。
「あります。僕は根性論とか雑草魂とかは嫌いだし、今でもあまり好きではないですけれど、いろいろなことを経験したら、世の中そういうことだらけだった。それを自分でくみ取って前に進んでいくしか、上に行く方法はないんです。そこは認めないといけないと思います」