「水戸モデル」でJ1ライセンス取得へ J2・J3漫遊記 水戸ホーリーホック 後編

宇都宮徹壱

「ミスター・ホーリーホック」にとってのアツマーレ

「ミスターホーリーホック」本間。アツマーレで練習できることに誰よりも喜びを感じている 【宇都宮徹壱】

「まさかこんなに素晴らしい施設だとは想像していなかったので、正直びっくりしています。このクラブで20年やってきて、こういう施設で練習できるようになったのは、本当にラッキーだったなって。もっとも、これまで水戸で頑張ってくれた人たちのおかげで、今があるんだとも思っていますし、それは若い選手にも伝えていきたいですね」

 水戸ホーリーホックの新しい練習施設、アツマーレ。その完成を誰よりも喜び、そして感謝している男がいる。「ミスター・ホーリーホック」の異名を持ち、所属選手の中で唯一JFL時代を知る男、本間幸司である。地元の水戸短期大学附属高校(現水戸啓明高校)を卒業後、96年に浦和レッズに加入するも、3年半で出場機会はゼロ。出番を求めて飛び込んだのが、地元からJリーグ入りを目指していた水戸であった。

「当時の水戸は、プロ契約はほとんどいなくて、みんなガソリンスタンドやコンビニでアルバイトをしながらプレーを続けていましたね。僕が契約した時、当時の社長から『今年でJ2に上がれなかったら、クラブは消滅するかも』と言われたんです。僕もここで芽が出なかったら(現役を)辞めるつもりだったので、まさに自分にピッタリだなと。それがまさか、20年もプレーするとは思いませんでしたね(笑)」

 練習場も毎日のように変わり、車の中で着替えたり、公園の水道で身体を洗ったりするのも当たり前。本間自身、1年目は「土の上でセービングの練習をした時もありましたね。痛かったですよ」と苦笑する。そんな経験をしていた本間だからこそ、アツマーレは別世界のように映る。ただトレーニング環境が整っているだけでなく、「城里町の人たちと触れ合うのも楽しみ」だと、40歳のベテランは語った。実はアツマーレは、地元町民も気軽に利用できる「公民館」の役割も果たしており、選手との交流の場としても機能しているのである。本間に説明してもらおう。

「よく筋トレルームで、地元の人たちから声をかけられますね。『頑張っているねえ』とか、『わしらも頑張らないとねえ』とか。こっちもトレーニングのアドバイスをしたりしていますよ。確かにここは(水戸市内から)距離はありますが、車で移動する間にいろいろイメージトレーニングができますし、集中しやすい環境ですよね。それにトレーニングが終われば、食事もあるし、身体のケアもできる。だからつい長居をしてしまいますね」

城里町の人々との「交流の場」として

クラブハウスの一室。かつての教室が間仕切りされていて、適正の広さにリサイズされている 【宇都宮徹壱】

 大事なことなので、もう一度、繰り返しておこう。実はアツマーレは、地元町民も気軽に利用できる「公民館」の役割も果たしており、選手との交流の場としても機能しているのである。想像してみてほしい。あなたに応援している地元のクラブがあるとしよう。そのクラブの選手たちと、地元の同じジムを使用できて、いつもスタジアムで応援している選手と談笑したり、トレーニングのアドバイスだって受けることもできるのだ。そんなことができるクラブ、水戸以外のどこにあるのだろうか?

「アツマーレは、ホーリーホックの持ち物というわけではありません。基本的にわれわれは、城里町の施設をお借りしているわけですよ。ジムの器具は町の所有物であり、机や椅子等の一部は町から譲り受けたものを使用したりしています。ちなみにこの部屋(プレスルーム)の向こう側は、行政の支所になっていて、公民館としての役割も担っています。町の皆さんがサークル活動できる部屋もあるし、グラウンドについても、皆さんにも開放できることになっています。われわれはただ、町の施設を優先的に使わせていただいているということなんです」

 そう語るのは、水戸のホームタウン担当でアツマーレ移転を現場レベルで切り盛りした、村岡大輔である。村岡が水戸のスタッフになったのは昨年の9月。その前は、JICA(国際協力機構)で2年にわたりネパールで地域開発をしており、「地域との関わりという視点から社会貢献がしたい」という理由で現職に就いた。漠然と「サッカーの仕事がしたい」とか「スポーツビジネスをやりたい」ではなく、「地域との関わり」という観点からサッカークラブの仕事をしたい。そういう人材が出てきたことに、良い意味で時代の変化を感じる。

 地域密着という点でいえば、水戸はかねてより積極的に行っていたことで知られている。ホームタウン活動は年間で800回を数えるし、いつも帯同しているマスコットのホーリーくんは地元では「アイドル」である。また昨年11月には、クラブのホームタウンを水戸市から9市町村に広域化し、当然ながら城里町もその中に含まれている。かつては水戸藩の版図にも含まれていた城里町だが、これまで水戸市内をメーンとしてきただけに、アツマーレという新たな拠点をどう展開していくかが今後の課題となろう。その点について尋ねてみると、村岡は「現時点での考えですが」と前置きして、こう答えてくれた。

「やっぱり、ファンの皆さんにも来ていただけるような環境作りですよね。当然、選手とファンとの動線も考えないといけない。見学者が増えたら増えたで、選手との距離感を考慮する必要もあるし、地元にご迷惑がかからないようにしなければなりません。今後も試行錯誤はあると思いますが、地元の小中学校と選手との交流も増やしていきたいですし、グラウンドを子どもたちが利用できるようにサッカーイベントなども行っていきたいと思っています。水戸ホーリーホックというクラブが、もっと地域に身近に感じられるようになって、町とクラブとがより密接に関われるようになればと思っています」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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