2011年 東日本大震災とJリーグ<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

震災で明らかになった「Jリーグの横のつながり」

震災を契機に「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となった小笠原は、7年が経過した今でも被災地支援活動を積極的に行っている 【宇都宮徹壱】

 あれから7年が経った。チェアマン退任後、日本スポーツ振興センター理事長となった大東は「すべてがうまくいったとは思いませんけれど、少なくとも震災以降の対応はできていたと思います」と静かに語る。とはいえJリーグもまた、震災で少なからぬダメージを受けたことは留意すべきだろう。11年の年間総入場者数は774万4837人。クラブ数が1つ増えたにもかかわらず、前年の864万5762人から約1割減となった。

「日程変更に伴う入場者数の減少は、確かに気になるところでしたね。各クラブにとっても死活問題でしたし、Jリーグ全体で考えても収入減への不安というものはありました。その後、(J1リーグの)2ステージ制の議論が始まるんですが、11年の震災による影響は、そのひとつのきっかけだったかもしれないですね」

 確かに11年は、誰にとっても辛い1年であった。それでも震災によって、Jリーグの存在意義が明確になったという事実にも目を向ける必要があるだろう。「あの時の試練を思ったら、(U−23日本代表監督時代の)リオデジャネイロ五輪予選のプレッシャーは何でもなかったですね」と苦笑いする手倉森は、ふと真顔になってこう続ける。

「チームを再始動する際、自分が選手に言ったのは『われわれは被災者ではない』ということでした。確かに震災直後は大変でしたが、他のクラブから練習場の提供の申し出があったり、ベガルタ以外のサポーターが支援物資を届けてくれたり、要するにJリーグの横のつながりというものに助けられていたんですね。本当に支援を必要としている人たちと比べて、まだまだ恵まれていた。だからこそ僕らはいつまでも被害者意識ではいけないし、むしろ自分たちがサッカーの力で希望の光にならなくてはならない。そんなことを言いました」

 一方、震災を契機に「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となった小笠原は、7年が経過した今でも被災地支援活動に積極的だ。また、16年に熊本地震が発生した際には、熊本出身のチームメートである植田直通を伴って、いち早く現地を訪れている。その理由を尋ねると、即座に「恩返しですね」という答えが返ってきた。

「東日本大震災の時、いち早く支援に駆け付けてくれたのが、阪神淡路大震災や新潟県中越地震で被災経験をしている人たちだったんですよね。被災者に何が必要なのかが分かっているし、『今が恩返しするときだから』と動きも早かった。だから僕も、熊本地震があった時には『恩返ししないと』と思いました。残念ながら日本って、地震もあれば津波もあれば火山噴火もある、災害大国ですよね。だからこそ、助け合うのはお互いさまだと思います」

 先に私は、2011年の大震災を「Jリーグの存在価値が試されるくらいの未曾有の危機」と書いた。試されたのは「組織としてのJリーグ」だけではない。Jリーグがそれまでの活動で培ってきた、クラブと地域、クラブとサポーター、あるいはクラブ間やサポーター間のさまざまな「つながり」が試されていたのである。大自然の脅威に対して、人間はあまりにも無力だ。それでも、無力感に打ちのめされた当時の私たちに、スポーツはささやかな灯火(ともしび)を与えてくれた。そして、その先陣を切る重要な役割を果たしたのが、Jリーグだったのである。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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