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東北人魂を胸に、復興活動を続ける小笠原満男
被災地のサッカー少年にグラウンドを
震災発生後、小笠原(右)は何度も被災地を訪れ、復興活動を続けてきた
震災発生後、小笠原(右)は何度も被災地を訪れ、復興活動を続けてきた【写真は共同】

 クラブOBで元ブラジル代表DFのジョルジーニョ新監督が率いる新たな体制をスタートさせた2012年の鹿島アントラーズ。しかし開幕から予想外の苦境に直面した。J1では2連敗を喫して94年以来の単独最下位に沈み、常勝軍団の危機もささやかれていた。だが、20日のヤマザキナビスコカップで好調・ヴィッセル神戸を2−0で撃破。ようやく待望のシーズン初白星を飾った。


 2011年3月11日に東日本大震災が発生してから1年。「東北の被災地の人たちを勇気づけられるように、自分がサッカーで頑張ってる姿を見せたい」と言い続けてきたキャプテン・小笠原満男にとって、大迫勇也の先制弾を演出して今季初勝利に貢献したことは、新たな一歩を踏み出す大きな力になったはずだ。

被災地への思いから「東北人魂」を設立

 ちょうど1年前の今ごろ、小笠原は東北の被災地でボランティア活動をしていた。鹿島が活動休止に追い込まれた直後、妻と子供3人を連れて、日本海側回りで丸1日かけて高校時代を過ごした大船渡と妻の実家がある陸前高田に入ったのだ。小笠原から帰郷の相談を受けた盛岡商業高校の斎藤重信総監督は当時の様子をこう話した。


「満男から『どうしても大船渡と陸前高田へ行きたい』と連絡があったので、『高速道路の陥没もあるし、やめた方がいい』と言いましたが、彼の意思は固かった。すでに盛岡に住む満男のお父さんが行けるところまで車で行き、途中から自転車に乗り換えて数十キロ走り、高田の嫁の実家までたどりついて安否確認を済ませていたから良かったですが、彼は身内さえ良ければいいとは決して思っていなかった。燃費のいい車を借り、家族ともども大船渡と高田に入って5日間、献身的に働いたんです。『子供を風呂に入れさせたい』と鹿嶋に戻った後も、支援物資や義援金を頻繁に送ってくれました。あの積極性には本当に頭が下がります」


 小笠原の故郷への思いはそれだけにとどまらなかった。昨年3月29日に行われた日本代表対Jリーグ選抜のチャリティーマッチでは「東北人魂」と大きく書き込んだTシャツを着て大阪・長居スタジアムに登場。満足に練習できず、コンディションも整わない中、被災地の力になりたい一心でピッチ上を懸命に走り続けたのだ。


 その後も地道な活動を続け、5月には東北六県の現役Jリーガー有志を募り、5月13日に「東北人魂を持つJ選手の会(通称=東北人魂)」設立にこぎつける。「東北サッカー未来募金(振込口座=七十七銀行利府支店 普通口座 5337623、東北サッカー協会義援金口代表 社団法人宮城県サッカー協会)」も同時にスタートさせ、定期的な募金活動を実施できるようにした。さらには被災地のサッカー少年のJリーグへの招待、イベント開催、被災地へのメンバー派遣などを精力的に行ってきた。

震災から1年、復興が進まない現状

 東北人魂は当初、今年3月31日までの活動を予定していたが、1年間延長されることが決定した。小笠原自身も復興活動継続がまだまだ必要だと強く考えている。被災地の実情を見れば見るほど、そういう思いが湧き上がって仕方ないようだ。


「実は震災発生から丸1年が経過した今月11日も大槌、大船渡、陸前高田へ行ってきたんです。『1年たってこういう状態なのか……』と正直、思ったよね。頑張ってがれきは1カ所にまとめたけど、本気で処理するつもりがあるなら、もっと早く片付けられるはず。小中学校の校庭の仮設住宅に住んでる方もたくさんいるけど、そういう人たちの住居だって1年あれば作れるでしょう。そういうことが進まないから、子供たちがスポーツもできないし、運動会すらできない。ホントに何とかしないといけないと痛感しますよ……」


 小笠原はこの1年間、被災地と少年たちと接する機会を数多く作ってきた。彼らと一緒にボールを蹴り、うれしそうにする姿から逆にエネルギーももらってきた。だが、逆に子供たちからの笑顔に陰りが見られる場面にも何度か遭遇したという。


「『これからも頑張って練習するんだぞ』と言うと、『やりたいんですけど、練習する場所がなくて練習できないんです……』と困った様子で言う子が何人もいたんだよね。それを何とかしてあげたいっていうのが今、一番強く思ってることなんです。被災地の復興の中でスポーツが後回しになってしまうのも分からないわけじゃない。人の生活や住居のことが最優先になるのは当然だと思うし。だけど『スポーツ施設は3年後に建て直します』となったら、子供たちの3年間は失われてしまう。3年っていったら、小学生が中学生に、中学生が高校生になる時間でしょ。それを空白にしたらスポーツが消えてしまう。僕は絶対にこのままじゃいけないと思ってます」

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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