車いす陸上・佐藤の「東京パラ金計画」 世界一に押し上げる実業団チームの存在
転機となった松永仁志との出会い
佐藤(左)のパラ陸上人生に大きな影響を与えた松永(中央)、そしてWORLD−ACでともに汗を流す生馬 【写真:宮崎恵理】
「松永さんの走りを見て、『うわ〜、すごい!』と感動して、自分から声をかけました。僕の走りはどうでしょうか、ダメなところはどこですかって」
松永はその時のことをよく覚えている。
「ははは、もうトップアスリートには程遠いイメージでした。体重オーバーで、汗っかきで鼻息が荒くて」
独学だと言う佐藤の走りを見ると、障がいが重いクラスにもかかわらず体の使い方は悪くない。お、これは! 面白いかもしれない。そんな印象を持ったのだった。
「パラリンピックに出たいと言う人はいくらでもいます。佐藤と一緒に練習する時間を重ねていく中で、ヤツの本気度が見えてきたんですよ」
レーサーでの練習は過酷だ。手を抜いたら決してレベルアップはしない。どこまで自分を追い込めるかがアスリートとしての資質だという。
「佐藤はどこかネジが1本飛んでるんじゃないかというくらい、集中していた。あ、こいつ、本気なんだなって。お前が本気なら、こっちも本気で取り組まなきゃいけない」
松永も覚悟を決めた。自分の経験を注ぎ込んで佐藤をパラリンピックに連れてってやるぞ、と。
1972年に大阪で生まれた松永は、中学2年で家族とともに岡山に引っ越してきた。中学・高校では陸上部に所属し400メートルや走り幅跳びに取り組んでいたという。16歳の時にバイク事故で脊髄を損傷。18歳でパラ陸上を始め、その後シドニーパラリンピックの映像を見て自分の人生の目標を見出した。4年後のアテネ出場が叶わず陸上を諦めかけたが、それまで続けてきた設計の仕事を辞め退路を絶って1年間、陸上に専念する。そうして、北京パラリンピックに初出場。ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続出場した。
松永は佐藤が入所した岡山の職業訓練校の非常勤講師を務めながら競技を続けてきた。仕事と競技の両立。パラリンピックで結果を出すための練習方法の探求。松永はそれらの一つひとつを、自分の手で切り開いていった。2014年に株式会社グロップサンセリテとアスリート契約し、16年にWORLD−ACを立ち上げた。
14年に松永に出会い、佐藤はわずか1年で400メートルの記録を5秒短縮。そして15年のドーハ世界選手権400メートルでいきなり優勝。突如出現した佐藤に、「あいつは一体誰だ!」と世界が目を見張った。初出場のリオパラリンピックで狙うは金メダル。しかし、佐藤の前に立ちはだかったのは、米国のレイモンド・マーティンだ。15年に400メートルで55秒19の世界記録を打ち立てている。
「15年の世界選手権では400メートルにマーティンは出場していません。彼が出場した1500メートルでは圧倒的な差で負けている。だから、本当の勝負はリオだと思っていました」
そうして、佐藤は目標の場所、リオパラリンピックのトラックに立った。
戦略通りに勝った世界パラ陸上
ライバル・マーティンに勝利してのロンドン世界パラ陸上での金メダル。佐藤を指導する松永は「東京までの道のりで絶対に必要だった」と意義を語った 【Getty Images】
佐藤は400メートルで58秒88、1500メートルでは3分41秒70。マーティンは400メートルで58秒42、1500メートルでは3分40秒63を叩き出し、鼻差で金メダルを逃した。
しかし、そこからさらに1年。パラ陸上を始めるきっかけとなったロンドンのスタジアムで、佐藤はマーティンとともに出場した400メートル、1500メートルで2個の金メダルを獲得。T52のレースは、佐藤とマーティンの一騎打ちの様相を呈した。1500メートルでもスタートから2人が飛び出し、300メートル地点でマーティンを捉えた佐藤が最後までマーティンを抑え続けてゴールした。400メートルでも先に飛び出したのはマーティンだったが、最後の直線でスパートをかけマーティンを抜き去って優勝を決めた。
「17年の世界選手権は、戦略通りの勝利でした」
そう語るのは、松永だ。
「パラリンピックの翌年で、選手は誰もが休養期間を経てもう一度ピーキングしてくる。でも、僕らはリオ以降も練習の手を緩めずに世界選手権まで取り組んできました。このタイミングでマーティンに土をつけておくことが東京までの道のりでは絶対に必要だと思っていたからです」
子どもたちの憧れの存在に
パラリンピアンの先達が、若いアスリートの道を築く。WORLD−ACというチームの存在が、佐藤を世界のトップへと押し上げていく。
「野球やサッカーにはスーパースターがいて、子どもたちは憧れの存在として夢を持つことができる。パラ陸上も、将来の夢としてイメージできるロールモデルが必要です。佐藤や生馬はそういう存在になれる」
松永が語る、チームの未来像。東京パラリンピックを機にムーブメント起こす。佐藤友祈は、その象徴として突っ走っていくのだ。