車いす陸上・佐藤の「東京パラ金計画」 世界一に押し上げる実業団チームの存在

宮崎恵理
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提供:東京都

「ベストの環境です」

リオパラリンピックで2つの銀メダル、ロンドン世界パラ陸上で2つの金メダルを獲得したパラ陸上のエース・佐藤 【Getty Images】

 岡山県に「グロップサンセリテWORLD−AC」という実業団チームがある。2016年3月に創設されたこのチームの特徴は、所属する3人の選手が陸上競技用車いす(レーサー)を使用するパラアスリートであることだ。松永仁志(T53クラス)、生馬知季(T54クラス)、佐藤友祈(T52クラス)。17年7月にイギリスで開催された世界パラ陸上競技選手権大会(以下、世界パラ陸上)には、3選手全員が出場している。その世界パラ陸上で、佐藤は400メートル、1500メートルの2種目で金メダルを獲得した。

「練習でも、レースでも、短時間に集中できることが僕の最大の長所です。逆に言えば、集中力は長続きしない。だから、昼間は仕事をして午後から練習するという今の生活パターンはすごく自分に合っています。会社はもちろんのこと、親会社の株式会社グロップやグループ会社、またさまざまな企業の方々に支えてもらっています。僕にとっては、WORLD−ACはベストの環境です」

 そう、佐藤は言い切る。

きっかけはロンドンパラ

 佐藤友祈は、1989年に静岡県で生まれた。子どもの頃は父の影響でレスリング、中学に進学すると陸上を始めた。「とは言っても実際には幽霊部員でした」と笑う。21歳の時、アルバイト先で倒れた。意識不明のまま病院に救急搬送され、気づいたのはベッドの上。高熱が続き約1カ月の入院を余儀なくされた。脊髄炎だった。現在、へそから下、左腕に麻痺がある。右腕も握力は12kg程度。パラ陸上競技では上肢・下肢ともに障がいがあるクラスで戦っている。

 佐藤が陸上競技を始めたのは、ロンドンパラリンピックの陸上競技を動画サイトで見たことがきっかけだ。

「病気で車いすになってから、風を切るということがなかった。映像で見た陸上の選手たちは、レーサーを使ってトラックの上で思い切り風を切って走っていました」

 ロンドンパラリンピックの陸上競技映像に釘付けになった佐藤は、だから明確に「陸上競技でパラリンピックに出場する」ことが、当初からの目標だった。パラリンピックを目指して陸上を始めたものの、一人でトラックを借りることは難しい。一般道での練習では行き交う自動車を避けて中断することも度々だ。佐藤は岡山県吉備中央町にある国立吉備高原職業リハビリテーションセンターに入所することを決めた。

「そこなら、練習時間も場所も確保できる。仕事の訓練学校ですが、僕は練習環境も求めて行ったんですよ」

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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