“駅伝男”青山学院大・田村和希 最後の箱根で7回目の区間賞を狙う

石井安里

区間新記録で鮮烈デビュー

“駅伝男”田村和希が最後の箱根に臨む 【写真:築田 純/アフロスポーツ】

“駅伝男”――駅伝にめっぽう強い選手を表すこの言葉は、今や田村和希(青山学院大4年)の代名詞だ。

 学生駅伝デビューは1年時の2015年、第91回箱根駅伝4区だった。トップで中継した同じ1年生の工藤有生(駒澤大)が従来の区間記録を3秒更新すると、その46秒後に中継所に飛び込んできた田村は、工藤の記録をさらに3秒上回る54分28秒をマーク。一躍、脚光を浴びた。

 田村は2カ月前の世田谷ハーフマラソンで、初挑戦ながら1時間03分42秒で2位に入り、すでに力のあるところを見せていた。とはいえ、10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝に不出場だったルーキーが箱根でいきなり区間新記録を出すとは、誰も想像できなかっただろう。山口・西京高で田村を3年間指導した堀田茂利先生(現・周南総合支援学校高等部主事)は、青山学院大の原晋監督に「駅伝では、歴代の西京卒業生のなかで一番」と話していたそうだが、「それでも、あんなに走れるとは思わなかった」と振り返る。33人もの教え子を箱根駅伝に送った恩師でも、舌を巻くほどだったのだ。

 以来、学生三大駅伝に通算8回出場。3年時に箱根の7区で脱水症状を起こして区間11位だったのを除けば、区間賞6回、区間2位が1回。唯一2位だった2年時の全日本3区も、区間賞とはわずか1秒差。この圧倒的な存在感が、“駅伝男”たる所以だ。

原点は父と続けたロードワーク 苦しいレースも楽しんで

当時1年生ながら区間新記録を記録し、脚光を浴びた 【写真:アフロスポーツ】

 田村は弟の友佑(黒崎播磨)、友伸(西京高1年)と三兄弟ランナーだが、玖珂中時代にはサッカー部に所属していた。3年の秋に陸上の大会に駆り出され、3000メートルを8分台で走った田村に魅力を感じた堀田先生は、西京高に勧誘。話をすると、父の育明さん(旧姓・嘉戸)は偶然にも堀田先生と同い年の元・陸上選手で、日新製鋼で1992年の全日本実業団駅伝に出場経験があった。駅伝で力を発揮するところは父親譲り。そして、ロードに強い田村の原点は、少年時代から父に指導を受け自宅の周辺を走り続けていたことにあると、堀田先生はみている。

 入学当初は線が細い選手だったが、夏合宿を経て、駅伝シーズンに入る頃には頭角を現した。山口県屈指の強豪校とあって、1年目の県高校駅伝、中国高校駅伝ではメンバーから外れたが、11月下旬に萩市周辺の起伏が激しいコースを走る「むつみ縦走駅伝」の3区で快走。それが決め手となり、堀田先生は田村を年末の全国高校駅伝で7区に抜擢した。初の大舞台は区間24位だったが、それまでの実績を考えれば十分な結果といえるだろう。

 2、3年時の同駅伝では、留学生や準エース級が集う3区に出場。2年時は区間8位(日本人5位)、3年時には区間4位(日本人2位)で12人を抜き、チームを入賞が見える位置まで押し上げるなど、当時から駅伝男の片鱗をのぞかせていた。沿道からの声援に笑顔で応えながら走った2回の3区は、堀田先生にとっても印象深いという。田村は今でも時折、苦しそうにしながらも笑顔で走る姿が見られる。根底にあるのは、苦しいレースも心から楽しむこと。その精神力こそが田村の強さだ。

上昇気流だった青学へ 笑顔で攻めの走りを貫く

田村は「笑顔」で有終の美を飾れるか 【写真:アフロスポーツ】

 高校卒業後は地元の実業団への就職を考えていたが、田村を大学の指導者たちが放ってはおかなかった。2年の秋頃から勧誘を受け始め、1月の中国山口駅伝でそのうちの1校、青山学院大の原監督と話をしたという。青山学院大もこの駅伝に参加していたが、田村は11.9キロの3区を36分18秒の区間新(高校の部)で駆け抜け、一般の部で走った青山学院大の選手を2秒抑えたのだから、原監督からすれば何としても欲しい人材だったに違いない。当時の青山学院大は出雲で1回の優勝経験しかなかったが、田村は2校に進路を絞った末、最終的には勢いのあった青山学院大へ。チームは田村の1年時に箱根で初優勝を果たしてから、連勝を続けている。

 間もなく、エースとして迎える集大成の箱根がやってくる。原監督はまだ区間を明言していないが、4連覇へのキーマンに田村を挙げており、采配が勝負を左右しそうだ。起用区間が注視される理由は、田村次第でレース全体が大きく動くため。そしてもう1点、「暑さに弱い」と指摘する声が多いことも影響しているだろう。冬とはいえ、暑さに弱い選手を気温が上がる時間帯の区間に使うのはリスクもある。

 ただ、この点について堀田先生の見解は違っており、「田村は高校時代、夏の間もしっかりトレーニングでき、その成果が秋冬の駅伝シーズンに出ていました。ですから、暑さは苦手ではないと思います。あえて言うなら梅雨時に走れなかったので、ピーキングが難しい部分はありました」という。確かに、高校時代の6〜7月のレース結果を見ると、5000メートルでは15分台ばかり。夏のインターハイにつながる県大会や中国大会の時期に不振だったことから、トラックで実績を残せなかったが、暑さに苦手意識はなく、箱根ではどの区間でも実力を発揮できるはずだ。

 今季前半はケガとの戦いだったが、出雲の2区で区間新、全日本でも2区で区間賞と上り調子。堀田先生は「攻めて、そして笑顔で走り切れるように。田村が笑顔で走るときは良いときです」と、活躍を望んでいる。無傷の4連覇、さらには自身7つめの区間賞獲得で、有終の美を飾れるか。
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著者プロフィール

静岡県出身。東洋大学社会学部在学中から、陸上競技専門誌に執筆を始める。卒業後8年間、大学勤務の傍ら陸上競技の執筆活動を続けた後、フリーライターに。中学生から社会人まで各世代の選手の取材、記録・データ関係記事を執筆。著書に『魂の走り』(埼玉新聞社)

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