“森保色”を濃密に感じさせたタイ遠征 2年半余りの東京五輪への旅が始まった

川端暁彦

年上の3カ国と対戦し、結果は準優勝

“森保ジャパン”の船出はM−150カップ準優勝。東京五輪への旅が始まった 【写真は共同】

 東京五輪を目指し、U−20日本代表“森保ジャパン”がスタートを切った。2020年夏に「U−23」となるチームだ。12月6日の集合からタイへの出発、そして日本帰国の17日にいたるまでの10日余りの旅である。

 現地では飲料メーカーが冠スポンサーとなっているM−150カップに参戦し、年上の3カ国と対戦。結果は準優勝だった。U−23タイ戦は1−2の黒星スタート、続くU−23北朝鮮戦には4−0で快勝。U−23ウズベキスタンとの決勝は2−2からPK戦で敗れるという内容だった。

 チーム立ち上げの招集というのは特別な意味があるものだ。新しい監督がやって来て果たしてどんな選手が選ばれるのか、どういう戦術が採用されるのか、どういうフィロソフィーを持ち込むのか。記者やファンはもちろんのこと、当事者である選手たちも興味津々である。

 この年代の代表チームを直前まで指揮していた内山篤氏は「“内山ジャパン”なんていらないし、そう呼んでほしくないからお願いもしてきたけれど、ここからは“森保ジャパン”でいいんだ」と言う。そもそも内山氏が自身の名前を代表チームに冠することを忌避していたのは「U−20までは育成年代だと思ってやってきた。そこで自分の色に染めようなんて思っていないし、思ってはいけない」ということ。

「このあとのA代表や五輪代表の監督に誰がなって、どんなサッカーをすることになっても『欲しい』と思われる選手になってほしいと思って活動してきた。でも、ここからは結果を求められる世界。“ハリルジャパン”でいいし、“森保ジャパン”でいい。監督が自分の色を出して、それに合わせて選手を選ぶという部分が強まっていくし、それでいいと思う」と語った。

招集初日から出ていた“森保色”

3バックシステムにチャレンジするなど、招集初日から“森保色”が(写真は12月10日のもの) 【写真は共同】

 実際、招集初日から“森保色”は出ていた。年代別日本代表では近年あまり採用されていなかった3バックシステムにチャレンジ。Jリーグではすっかりポピュラーになっている3−4−2−1のフォーメーションをベースにしつつ、GKを積極的にフィールドプレーヤーの練習に混ぜて、後方から丁寧にビルドアップしていくスタイルを徹底させていた。面白かったのは、選手たちが「広島っぽく」プレーすることを、指揮官から指示を受ける前に始めていたからだ。

 サンフレッチェ広島時代、自分たちがボールを持つと、ボランチの選手が3バックの間に落ちてシステムを変化させるやり方を採用していた。すると、U−20日本代表の練習の中で、それを模倣したようなプレーが出てきて、森保一監督が制止する場面に出くわしたのだ。「『いや、そんなことをしろなんて言っていないから』と、止めました」と指揮官は笑った。

「僕が広島時代にしていたサッカーを事前に“予習”してきた選手もけっこういたみたいですね。でも、あのやり方はカズ(森崎和幸)という選手がいて、彼を生かすために採用していたものだから、彼のいないチームで同じことをやるつもりなんて全くなかったんです。だから慌てて止めました」

 監督が森保色に染める以前に、選手たちのほうが森保色へ染まりにいっていたわけだ。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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