連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
京都が育んだ女子プロテニスプレーヤー加藤未唯、五輪へ世界へ「限界までやる」
ダブルスパートナーが五輪に出場
長年パートナーを組む穂積(右)とともに、17年1月の全豪ダブルスではベスト4進出。日本人ペアとしては15年ぶりの成績を残した 【写真は共同】
「次のオリンピックの時は何歳、その次だと何歳……」、そうやって自分の年齢を4年刻みで数えた時、2020年に25歳で五輪を迎えることに気付く。10代半ばの少女にとり、25歳は「オトナ」になっているべき遠い未来で、現実的な予測が及ぶぎりぎりの将来像でもある。
「テニスをやるのはたぶん25〜26歳までやから、これはナイスタイミング!」
しかも「最後になるだろう」五輪の開催地には、くしくも、東京が選ばれた。
そのように五輪への想いを抱いていた加藤に、2016年のリオデジャネイロ大会を意識させる“出来事”が起きる。同年4月、穂積と組んだダブルスでWTAツアー初優勝を成した時、日本テニス協会から「出場の可能性がある」と告げられたのだ。
「オリンピックに出られるのかも!?」
一つの夢が実現する希望が、期待へと変わっていく。だが、迎えた出場選手発表で“主催者推薦枠”として名前が載っていたのは、パートナーの穂積のみ。しかも発表があったその日は、ウィンブルドンの大会期間中だった。折も折なため、集まった多くの関係者やメディアの関心が“オリンピアン”へと向けられる。
「おめでとう」「がんばって!」
隣に居るパートナーへの、祝福の言葉が目の前を素通りするたび、彼女は密かに傷を負った。
そのリオ五輪直後の、全米オープンでのことである。ダブルスで勝利した後の会見で、「穂積さんがオリンピックに出ている姿を見て、どう思いましたか?」との質問が、加藤に向けられた。
(どうって……?)
胸の奥が、思わずカッと熱くなる。
(ここ最近、一緒に組んでたやん)
だが、その苦い想いを口にすることは、彼女の中の何かが許さなかった。
「出てるなーって。うーん……素直に言うと、あっ、今ブラジルに居るんやんって……そんな感じです」
とっさに被ったプライドの仮面は、本心と正反対の言葉を彼女に吐かせる。同時に、会見室を笑いに包んだそれらの発言は、「天然」「のんびりした子」という、彼女の本質とは乖離(かいり)したイメージを、周囲へと散布した。
「なんも頑張ってない風」――でもその手には潰れたマメが
ジュニア時代を過ごしたパブリックテニス宝ヶ池。石井コーチ(右)に見守られ、加藤は自分らしいテニスの腕を磨いた 【スポーツナビ】
それでも当の本人は、気恥ずかしさか、あるいは諧謔(かいぎゃく)精神からか、そのような性質に“矜持”のような大仰な言葉を当てはめることを好まない。
「なんも頑張ってない風に見えるでしょ? それが良いんです!」
明るい光を目に浮かべ、カラッと彼女は言い放った。
「人生で一回きり、もう限界までやりたい」
「だって、もし来年100位以内に入っても『25歳でやめるとしたら、グランドスラム生活はあと3年しかできひんやん、もったいな!』って思うんですよ。だから……そういう期間は人生で一回きりやから、もう限界までやりたいって思います、今は」
行けるところまで走りきると決意した、終着点の見えぬ旅路――。その道の真ん中に、東京五輪は間違いなくある。