踏みとどまれなかった新潟、初のJ2降格 練習からも垣間見えたチームのほころび

大中祐二

チアゴ・ガリャルドの“乱心”

チアゴ・ガリャルドの“乱心”は一度や二度では収まらず、シーズン終了を待たずにチームを離れた 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 立て直しが失敗に終わった8月の終わり、止まらない負の連鎖は、ついに飽和点に達する。連敗をようやく4で止めた第24節の柏レイソル戦の後のことだ。1−1で引き分けた柏戦でゴールを挙げたチアゴ・ガリャルドは、呂比須監督の就任以来、攻撃の核となるべき存在として4−2−3−1のトップ下で出場を重ねていた。新ブラジルトリオの1人である長身のプレーメーカーは、10番を背負い、今シーズンのチームでは最も技術に長け、柏戦のゴールによって通算3ゴールとなった得点数は、その時点でホニと並んでチームトップであった。

 だが、守備での貢献不足は、目に余るものがあった。それが守備意識のなさからくるのか、運動量の問題だったのかは分からない。いずれにしても、ボールを受けようと自由奔放に取るポジショニングと相まって、ひとたび守備になると、チームには大きな負担がかかった。

 とびきりの1本のパスを通す力はある。だが、それを待つうちに、いくつもミスをしては、そのたびにカウンターを浴びる。それがジャブとなって体力と気力をチーム全体から奪い、結局は消耗し切って最後に力尽きる。そんな試合を今シーズン、いったい何度、見ただろうか。

 チアゴ・ガリャルドが“乱心”したのは、晩夏の日差しが照りつける午後のトレーニングでのことだ。ボールを奪われたことにカッとなり、たちまち削り返す。その蛮行に、周りから一斉に非難の怒声が上がる。いったんトレーニングから外に出され、落ち着くように促されたチアゴ・ガリャルドは、プレーに戻ることを許されると、直後にボールを受けようとする大野和成の方へと猛然と走っていき、深いタックルを大野の足下に見舞った。

 チアゴ・ガリャルドを強い口調で叱責していたキャプテンの大野は間一髪、大きくジャンプしてタックルをかわしはした。この光景に心底ゾッとさせられたのは、6月に右ひざの手術を受けた大野にとって、この日のトレーニングがようやく対人プレーが解禁された、まさにその日だったからだ。

「こういうことが一度や二度ではない。そのたびに注意しているけれど、直らない。チアゴを今後どうするかは、強化部が判断することになる」。呂比須監督の言葉通り、以降、試合のメンバーに入らず、トレーニングもチームとは別に行っていたチアゴ・ガリャルドは9月28日に家族の事情により、一時帰国。再来日することはなかった。

再昇格への挑戦は、もう始まっている

J1復帰に向けてチームを“リセット”した新潟。まずは次期監督選びからのスタートになる 【(C)J.LEAGUE】

 そんな選手が中心に据えられていながら、チームが致命的にバラバラにならなかったのは驚きですらある。実際、力を最後まで失っていないことをチームは数字で示す。第32節に降格が決定するまで3勝1分け。残り2試合という土壇場まで粘った新潟は、“史上、最も遅いシーズン最初の降格チーム”となった。

 夏に加入し、ボランチとして奮闘する磯村は、急激に上向いたチームのサッカーを、こう説明する。

「それまでは横ズレで対応する守備だったんだけれど、こちらがズレてというよりも、相手に何度もズレさせられて、そのうちに穴ができてやられていた。でもカワ(河田篤秀)が1トップ、ズミさん(小川)がトップ下に入って前からボールを追ってくれるようになってから、ボールを奪いに前にいく守備ができるようになった」

 磯村の言う横ズレの守備は、リトリートし、ブロックを組んで守ることに符合する。このやり方を、呂比須監督は当初からベースに置いてきた。就任する前から失点に苦しむチームを立て直すため、守備を固めるという発想はうなずける。

 だが、いくらブロックを組もうとしても、いつまでたってもルーズさは解消されず、チームは負け続けた。やがてチアゴ・ガリャルドに代わり、小川がトップ下に入った。ドウグラス・タンキに代わり、河田が1トップに入った。小川の場合もそうだが、タンキから河田へと代わったいきさつも、タンキが出場停止だった第27節札幌戦で先発した富山が前半のうちに負傷し、交代で出た河田が0−2から追い上げる2ゴールを挙げたからだ。どちらも偶然によるところが大きく、やがてボールを奪いに前にいく守備へとシフトする。

 シーズン最終盤、選手は口々に「前からアグレッシブに守備するのが新潟だ」「球際で戦い、最後まであきらめずに走るのが新潟だ」と話した。心が折れそうな困難な日々も選手たちは努力を続け、最後にそれを取り戻した。が、この半年を振り返れば、継続が実を結んだというより、引き出せなかったというほうが正しい。

 現場のコミュニケーション、チアゴ・ガリャルドの処遇、新潟らしいサッカー。チームがたどり着いた最終形態は、積極的、能動的に獲得されたものではない。時間切れとなり、残留できなかった時点で、新潟に本来備わっている力を看破する力が呂比須監督にはなかったということだ。

 チームはリセットされた。来シーズンの降格が決まった甲府戦の翌日、呂比須監督の契約満了と、神田勝夫強化部長の退任がクラブから発表された。14年にわたってチーム強化に携わってきた神田部長に代わり、これからはU−20日本代表コーチを務めた地元・新潟出身の木村康彦氏が、その任に当たることが内定している。

 選手たちの向上心、向学心を満たす土壌が、これからの新潟には不可欠だ。ピッチに向かう選手たちが、「このトレーニングをやっているから俺たちは大丈夫だ」と思えるような、豊かな土壌が。まずは、次期監督選びから。再昇格への挑戦は始まっている。

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著者プロフィール

1969年生まれ。相撲専門誌、サッカー専門誌の編集を経て、2009年よりフリーランスとなり新潟に移住。日々、アルビレックス新潟を追いかける。サッカー専門誌時代はJ1昇格の2004年から2008年まで新潟を担当。04年8月の親善試合でビッグスワンのピッチ脇にリーガ、UEFAカップの二つのカップをドヤ顔で飾ったバレンシアを、スペイン代表GKカニサレスに尻持ちをつかせた安英学の圧巻ボレーなどで粉砕した瞬間、アルビにはまる。 

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