オグリ育てた名伯楽の言葉が忘れられない 追悼・瀬戸口勉調教師
オグリワン好走の宴会で見た陽気な姿
オグリキャップが引退、種牡馬になった後、馬産地にはオグリフィーバーが巻き起こり、瀬戸口調教師はオグリキャップのオーナーだった故・近藤俊典オーナーから1頭のオグリキャップ産駒の預託を依頼された。覚えていらっしゃる方もいると思うがそれがオグリキャップの最初の子供オグリワンである。
オグリキャップ産駒を追いかけ続けた私は、このオグリワンの誕生の瞬間に立ち会い、牧場時代、育成場時代、そして入厩後、デビュー……と取材を続けた。しかし、瀬戸口師との距離は相変わらずで実のある取材はできなかった。そんな頃の出来事である。
オグリワンは1994年7月に小倉競馬場でデビュー、2戦目で勝ち上がり、9月4日、小倉3歳ステークスに出走した。私ももちろん小倉競馬場まで取材に駆けつけた。結果は1馬身差の2着。
勝てなかったもののこの2着で賞金を加算、クラシックを始めその先の展望に大きく夢が広がる価値ある2着に近藤オーナーは大喜び、その夜、小倉市内の料亭で宴会を催し、私も末席に参加させていただいた。
もちろん、瀬戸口先生もいらっしゃった。みんなの喜ぶ顔、やクラシック戦線に思いを馳せる夢に宴もたけなわとなった。その時、瀬戸口師が私のところにいらっしゃった。お酒が入り、少し酔いが回ったことで先生の顔はまさしく恵比須顔。陽気なおじさんに変わったのである。私が差し出すコップにビールを注ぎながら「あんたもよう、追いかけてくるなあ……。本当にご苦労さんやなあ……」とニコニコ顔で話しかけてくる。
普段と、全く違う陽気な調教師の姿に私も思わず「先生がこんなに愉快な方とは知りませんでした」とついつい本音を述べてしまうと「何を言うとる……」と一瞬、怒った振りをされたが笑顔は消えなかった。
二次会、三次会……と宴は続いたが、先生の陽気さはそのまま。初めて先生とオグリキャップについて、とことん話ができ、楽しいひと時を過ごさせていただいた。お酒が入っていたとはいえ、その陽気な姿こそ、瀬戸口調教師の本当に姿だったのかもしれない。
「これからいつ来てもオグリキャップのことを思い出せるからいいなぁ……」
ネオユニヴァースのダービー後について、宝塚記念挑戦という特ダネを瀬戸口調教師が提供してくれた 【写真は共同】
近藤俊典オーナーの告別式、オグリキャップの法要や、銅像除幕式などの場でお会いすると必ず先生の方から声をかけてくれた。調教師引退後も門別競馬場やセリ会場などで顔を合わせると必ずオグリキャップや近藤オーナーの思い出話をした。
オグリキャップの銅像除幕式で話した瀬戸口調教師(左から2人目)の言葉が忘れられない 【提供:橋本全弘】
【提供:橋本全弘】
式典の合間に、私を見つけると、寄っていらっしゃった。
「こんな立派な像を作って頂いて、これからいつ来てもオグリキャップのことを思い出せるからいいなぁ……」そうしみじみ語られた言葉が今でも忘れられない。名馬オグリキャップを通じて、心を寄せ合わせていただいた瀬戸口調教師。
安らかにお眠りください。