偉大なホースマン・川島師が残した功績=地方競馬再生へフサイチ軍団も動かした

橋本全弘

偉大なるホースマン・川島正行調教師の告別式が13日、しめやかに営まれた 【提供:橋本全弘】

 公営・船橋競馬の川島正行調教師が7日急逝、13日、しめやかに告別式が営まれた。

 日本の競馬には「中央競馬&公営競馬」という二段階の競馬開催システムが厳然としてあり、如何ともしがたい格差がある中で、公営競馬の隆盛を目指して尽力された偉大なるホースマン・川島正行調教師の早すぎる死を嘆き、悼む声は後を絶たない。
 約10年に渡り、公私ともに大変お世話になった川島先生との思い出を綴ることで追悼としたい。

フサイチ関口氏のもとに届いた1通の封書

 私が川島正行調教師と初めて会ったのは2004年秋頃だった。

 25年勤めていた新聞社を辞し、フサイチの冠名で知られる関口房朗オーナーの競馬顧問になった直後のことだった。
 ある日、関口氏が1通の封書をもってきて「船橋競馬の川島という調教師からこんな手紙が何度も来とるんだが、話を聞いて来てくれんか」というものだった。
 内容は関口氏がその秋、ヨーロッパのセリで落札した1頭のサラブレッドを是非とも川島厩舎に預託していただけないかというお願いの手紙で、掃き清められ塵一つない厩舎の風景や立派な馬房の写真が添えられていた。
 その馬はかなりの高額で、すでに中央のある厩舎に入る予定になっていた。とはいえ、公営のNo.1トレーナーからの度重なるお願い。電話等で断るわけにもいかず、私が出向いて、体よく断ってきてくれ……という指令だったと感じた。

 新聞社に勤めていた頃の私は中央競馬担当であり公営の大御所トレーナーといっても取材をする機会はなく、名前とその素晴らしい実績を知っている程度であった。
 私は川島調教師とアポイントを取った後に、新聞社時代の公営競馬担当記者や、競馬関係者等に川島調教師がどんな人なのかを聞いてみた。ところが話を聞いた誰もが彼のことを良く言わない。

「確かに成績は素晴らしいけど変わった人だよ」
「やり手だけど、かなり強引なこともやるよ」
「あまり近づかない方がいいんじゃないの……」

 と人となりや評判はヒドイものばかりだった。

「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」

08年NAR最優秀調教師を受賞した川島調教師(中) 【写真は共同】

 厩舎を訪ねた私は図々しいとは思ったが、開口一番「先生はあまり評判はよくないですね」と声をかけてみた。
 言い訳でもするのかな……と思っていたら、先生は「俺って、評判悪いのか……。それじゃあ、マダマダなんだよなあ……」
 この調教師、一体何を言うんだろう……とキョトンとしている私に向かって豪快に笑ったことを覚えている。

「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」

 川島師が人生の先生と慕い、馬主である歌手北島三郎から贈られた言葉を人生訓として頑張っていることを説明してくれた。
「悪口を言われてるようじゃ、まだまだ“出る杭”なんだ。何も言われないようにもっともっと頑張って突き抜けるような成績を挙げて“出過ぎた杭”にならないとなあ……」と口ひげをピクつかせた。

 そんな競馬談義に花を咲かせているうちに、彼がなぜ公営のトップトレーナーとして優れた成績を出し続けているのか、なんとなくわかるような気がした。

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著者プロフィール

 1954年生まれ。愛知県出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、スポーツニッポン新聞東京本社に入社。87年、中央競馬担当記者となり、武豊騎手やオグリキャップ、トウカイテイオー、ナリタブライアンなどの活躍で競馬ブーム真っ盛りの中、最前線記者として奔走した。2004年スポニチ退社後はケンタッキーダービー優勝フサイチペガサス等で知られる馬主・関口房朗氏の競馬顧問に就任、同オーナーとともに世界中のサラブレッドセールに帯同した。その他、共同通信社記者などを経て現在は競馬評論家。また、ジャーナリスト活動の傍ら立ち上げた全日本馬事株式会社では東京馬主協会公式HP(http://www.toa.or.jp/)を制作、管理。さらに競馬コンサルタントとして馬主サポート、香港、韓国の馬主へ日本競馬の紹介など幅広く活動している。著書に「名駿オグリキャップ」(毎日新聞社)「ナリタブライアンを忘れない」(KKベストセラーズ)などがある。

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