大仁田、“闘魂継承者”藤田組に勝利 43年半のレスラー人生に“本当”の幕
“邪道”大仁田厚7度目の引退には、超満員札止めとなる2000人のファンが集結した 【写真:SHUHEI YOKOTA】
「今度こそ本当に引退」と何度も発言していた大仁田。引退、復帰を繰り返してきたが、年齢は同25日で還暦となる60歳を迎え、肉体的には左ヒザ、右手、肩がボロボロ。第一線でファイトするには限界と感じていた。“邪道”の最後を見届けようと、前売りの指定席チケットは大会前日に完売。当日若干枚の立ち見券が発売されたが、それもあっという間にソールドアウトとなり、同所は立錐(りっすい)の余地もないほど、パンパンの大観衆で埋め尽くされた。
サンダーファイアー7発で論外をし止める
“猪木の愛弟子”藤田(左)に毒霧を噴射。最後まで邪道ファイトを見せつけた 【写真:SHUHEI YOKOTA】
のっけから、大仁田と藤田は激しくやり合ったが、藤田はイス、机の破片で殴られても、微動だにせず、まさしく“野獣”ぶりを存分に発揮。力任せにボディスラムで、有刺鉄線ボードに投げ捨てると、大仁田はもん絶。それでも、立ち上がった大仁田は、有刺鉄線バットを手にした藤田に毒霧を噴射。これで流れが変わり、論外に鷹木がデスバレーボム、KAIがフライングボディプレスをたたき込んだ。
ここからは、大仁田と論外のタイマン勝負。論外は大仁田が繰り出すサンダーファイアー・パワーボムをことごとくカウント2で返す。しかし、実に7発目のサンダーファイアーを食った論外は力尽き、3カウントを聞いた。
「オレは死ぬまでプロレスラー」
「プロレスに胸いっぱいになれたことを幸せだと思います」とレスラー人生に感謝の言葉を述べた 【写真:SHUHEI YOKOTA】
そして、「おふくろ、ありがとう。オマエら、オレみたいな男に40何年ありがとよ!」と涙声で叫んで、リングを降りた。
ファンとの写真撮影会を終えて、控室に戻る階段を降りようとした大仁田は、歩を止め、「16歳の時に初めて、この階段を上がって、下がりました。いろいろな思い出が詰まっていて、すげーつらいけど、人生前向いて歩きます。また、いつか形を変えて会えるから。最後はもっと5万8000人の前で引退して……最初の全日本の引退のとき、(ジャイアント)馬場さんの奥さん(元子さん)が泣いて抱きしめてくれた通路。駐車場から帰るとき、体に穴が開いたような。そこを隙間風が通るような……。30何年経って、この場所がいちばん」とポツリ。
階段を降りた大仁田は「アイツら(ファン)と別れるのがさびしいな。だけど、またどこかで会えるかなって。七転び八起きとか、また帰ってくるんじゃないかって言われるけど、最後のひと言を言うなら、オレはプロレスが大好きです。母さんが、オレがプロレスをやめるまで、大好きな日本茶を飲まないでいてくれた。今日はオレがお茶を入れてやろうかなって……。オレみたいなバカ息子が……。ここにきて、みなさんに多くのものをいただきました。いろいろなことを感じさせてくれた。月並みな言葉かもしれない。プロレスに胸いっぱいになれたことを幸せだと思います。40何年間の中に、まだ馬場さんがそこにいて、オレが付き人で……。オレは死ぬまでプロレスラーです。こんなこと言うと、また誤解されるけど、3日後(11月3日の超花火・川崎大会)は絶対ありませんので。完全にチケットがなくなったのはみなさんのおかげです。1枚1枚のチケットがこんなに、うれしくて重く素敵に感じたことは43年間の歴史で初めてです。みなさんありがとうございました」とコメントし、控室へ消えた。
一方、敗れた藤田は追いすがる報道陣に対し、「何だよ。どけよ!」と言い放ち、試合に関して語ることはなかった。