ロッベンの代表引退と、W杯予選敗退と オランダのレジェンドが見せた最後の勇姿

中田徹

キックオフ前の国歌斉唱で泣いていたロッベン

ロッベン親子は試合後、ゆっくりと場内を一周し、サポーターに別れを告げた 【Getty Images】

 崖っぷちのオランダがワールドカップ(W杯)欧州予選・プレーオフに進出するためには、10月10日(現地時間)のスウェーデン戦を7点差で勝たなければならなかった。わずかに残る希望に向けて全力を尽くすことを誓いながらも、アリエン・ロッベンはこの試合が最後の代表マッチになることが分かっていた。だから、すでに彼はキックオフ前の国歌斉唱で泣いていた。

 代表引退マッチにふさわしいパフォーマンスだった。16分には(ミスショットのように見えたものの)PKを決めて先制ゴールをもたらし、40分にはライアン・バベルの折り返しを強烈な左足ダイレクトシュートでサイドネットに2点目のゴールを蹴り込んだ。

 ハーフタイム、ロッベンは「これがオランダ代表なんだ! これが、俺たちがすべきプレーなんだ!」とチームメートにげきを飛ばし、“7−0”の奇跡に向かって後半のピッチに飛び出していった。

 しかし、もう、スウェーデンはオランダにスペースを与えてくれなかった。前半の猛攻は影を潜め、時計の針ばかりが進んでいった。84分30秒の時点でスコアー2−0。オランダはスウェーデンに勝っていたが、ロシアに行くには負けを意味するスコアだった。それはまた、ロッベンの代表引退を意味することも、私たちは理解していた。ヨハン・クライフ・スタディオンに詰め掛けた観衆は「ロッベン、ありがとう! ロッベン、ありがとう!」という歌を歌い出した。

 ファンの歌声がロッベンの背中を後押しし、87分にはダリル・ヤンマートの縦パスに全速力で追いついて、そのままシュートを放つも外してしまった。その勢いでゴールラインを駆け抜けたロッベンは左膝を抑えてしばらく動かなかった。

 明らかにもう、ロッベンに余力はなかった。「ロベーン、ロベーン、ロベーン」の合唱を受けても、ロッベンはもう両膝を抑えて立ち尽くす時間が長くなっていった。それでも時おりロッベンはプレーに加わりながら、アディショナルタイムの2分は過ぎていった。

親子でサポーターに別れを告げる

代表引退マッチにふさわしい、ロッベンのパフォーマンスだった 【Getty Images】

 チームメートたちがファンにあいさつをする中、ロッベンはメーンスタンドの中に入っていき、2人の子供をピッチへ招き入れた。スタジアムの職員が次男に試合球を渡すと、前半、父が決めたゴールの方に向かってシュートを決めてファンを喜ばせた。こうやってロッベン親子はゆっくりと場内を一周し、サポーターに別れを告げた。

「2−0で勝ち、2ゴールを決めた。普通なら、素晴らしい最後の試合だったと言えるはずだった。あと1ゴール決めていれば、ハットトリックを記録して引退したディルク(・カイト)のようだった。しかし、彼は(フェイエノールトで)優勝し、われわれはW杯に行けなかった。まあだけど、実際のところはあらかじめ分かっていたことだったけれどね」

 2010年のW杯決勝で、ロッベンがスペイン代表GKイケル・カシージャスとの1対1を外したシーンは「カシージャスの爪先」と呼ばれている。それは、1978年のW杯決勝でロブ・レンセンブリンクがシュートをポストに当てた時と同じぐらい、「オランダが最も世界一に近付いた日」として記憶されている。

 ロッベンがカシージャスにリベンジを果たしたのは14年W杯ブラジル大会の時。グループリーグ初戦でオランダはスペインを5−1で倒し、ロッベンはカシージャスが守るゴールを2度破ったのだ。

 オランダサッカー史上に残る“レジェンド”は、今後はバイエルン・ミュンヘンでのプレーに集中するという。卓越したスピード、技術、得点力、そしてリーダーシップに「ありがとう」と言いたい。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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