女子限定ルール、データ活用……技術革新で進化する世界の女子テニス界

内田暁

女子ツアー限定のルール「オンコートコーチング」

データ活用が進む女子テニスの世界ツアー。写真は「オンコートコーチング」中のジョアンナ・コンタ(右)とコーチのウィム・フィセット氏 【Getty Images】

 女子テニスの試合でチェンジオーバー時(各セットの第3ゲーム後と、以降2ゲームごとに挟む90秒の休憩時間)に、コーチが選手のもとに駆け寄り、アドバイスを与える姿を見たことがある人は、多いのではないだろうか。あるいはコーチがタブレット機器を携え、選手に画面を見せながら助言している姿も目にしたかもしれない。例えば最近では、東レパンパシフィックオープン1回戦のアンゲリク・ケルバー(ドイツ)対大坂なおみ(日清食品)の試合で、大坂のコーチのデービッド・テーラーがiPadを手に、選手へと細かく指示を与えた。あるいは、元世界ランキング1位で現在はマディソン・キーズ(米国)のコーチとして活躍するリンジー・ダベンポートも、そのような最新テクノロジーを駆使する一人だ。

 このような光景が見られるのは、実はWTA(女子テニス協会)ツアーに限定されている。WTAは2009年より“オンコートコーチング”ルールを導入。このルールにより選手は試合中でも、1セットあたり1度はコーチのアドバイスを受けられるようになった。これは、それまでの「テニス選手は、一度コートに立ったら一人」との定説を覆す革新的な変化。さらに15年からは、端末機器を用いてのデータ解析アドバイスも可能に。しかもこの“データ”には、現在進行中の試合分も含まれるのだ。

 これらのデータベースを選手やコーチに提供するのは、WTAの公式データサプライヤーであるSAP社だ。近年、テニス競技に導入された技術革新に、ビデオ判定システム“ホークアイ”がある。これは、コートを囲むように設置された10台のカメラが収めた映像をもとに、球の軌道を解析してボールの落下点を判別するというもの。SAP社は、このホークアイカメラが収めた膨大な量の情報を収集し、ボールの落下点のみならず、そのボールがフォアハンドもしくはバックハンドで打たれたものか? あるいは、コートのどの位置から放たれたか? そしてどのようなスコアの、どのような状況下で打たれたものか――など条件ごとに見られるようにデータベース化。それを選手やコーチたち全員に開示し、誰でも自由に閲覧・使用できるようにしている。

データを積極利用 元世界1位ケルバー

データ活用に関する講演に出席し、現役選手としての感想を話したケルバー(中央) 【スポーツナビ】

 東レパンパシフィックオープン開催中の9月下旬、東京のSAPジャパンにて、日本スポーツアナリスト協会主催の“WTAデータ活用講演”が行われた。その席には昨年の年間ランキング1位のケルバーや、経験豊富なコーチらが複数参席。彼・彼女たちがいかにデータを活用し、それら情報解析がいかに試合に寄与しているかを説明した。

「私とコーチは、数年前からSAPデータを頻繁に活用しています」

 そう打ち明けるケルバーは、「試合後には自分のデータと対戦相手のそれを見て解析し、次に向けての練習やトレーニングに活用しています。それを続けることにより、確実に5〜10パーセントのクオリティーアップができる。私たちのレベルでは、この数パーセントが非常に大きな差を生むし、データが背景にあることにより、自分の取り組みが正しいという確証を得ることができます」と説明する。
 また彼女は、仮にデータに基づいたコーチの助言と、自分のやりたいことが異なっていた場合は「データに従う」とも言った。

 一方、指導者側からの非常に興味深い知見を語ってくれたのが、現世界7位のジョアンナ・コンタ(イギリス)のコーチであり、過去にビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)やキム・クライシュテルス(ベルギー)ら世界1位選手のコーチを歴任したウィム・フィセット氏である。
 フィセット氏は、今年のウインブルドン4回戦でコンタが対戦した選手のデータを示しながら、実際にどのような作戦を取ったかを解説。過去数十試合の集積であるデータのなかでもフィセット氏が重宝したのが、対戦相手が“ブレークポイントにひんした時に、どこにサーブを打つか”であった。

「この対戦相手は、バランス良くサーブを打ち分ける選手です。ですが、ブレークポイントの時……特にアドサイド(ベースラインの左側)からは、約95%の確率でバックハンド側に打つ傾向があることが分かりました。そのデータを活用することで、コンタは第3セットの非常に重要な局面でブレークし、試合に勝つこともできたのです」

 これらの膨大なデータの活用法は、現時点ではまだ「現状を分析する」にとどまっている。だが将来的には“マシン・ラーニング”などのデータ処理技術を用い、「どのようなトレーニングをすべきかなどの“助言を与える”ことを目指している」と、SAPのジェニー・ルイス氏は語気を強めた。

データをどう選手へ伝えるか「コーチの腕の見せどころ」

現役コーチのフィセット氏(左)は、実例を示しながらデータ活用状況を語った 【スポーツナビ】

 ただフィセット氏は、「データを用いるのが好きな選手と、そうではない選手もいる」と加えることも忘れない。
「私が過去にコーチに就いたアザレンカは、非常に細かいデータを欲しがり、自分でも解析するタイプでした。一方、現在見ているコンタは、自分の直感を大切にする選手。その選手にとって必要な情報を選びとり、うまく咀嚼(そしゃく)して伝える……それがコーチの腕の見せどころです」

 またケルバーは、データを用いたコーチングにより「試合そのものの緊張感が高まった」と言う。「自分だけではなく対戦相手も、データを用いたアドバイスを試合中にコーチから受けられる。それにより、相手もプレーを修正し劣勢から挽回してくる可能性が出てきます。ファンにとっては、試合がより楽しいものになるでしょう」。

 データ活用やオンコートコーチングにより、より多くの感情がコート上で絡まりあい、今までにない試合の側面や選手の人間性が露(あら)わになる――それこそ、技術革新がもたらす最大の功績かもしれない。
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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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