2004年 最後にして最大のCS<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

第2戦の直前で得た「これは勝つな」という感覚

04年のCSを制した横浜FM。第2戦前、岡田には「これは勝つな」という感覚があった 【(C)J.LEAGUE】

 2004年のJリーグ・チャンピオンシップ(以下、CS)12月5日に日産スタジアムで行われた第1戦は、入場者数が6万4,899人。これは現在も破られていない、Jリーグでの最多入場者数となっている。この試合はTBS系列で放映され、視聴率は12.0%。続く11日の埼玉スタジアムでの第2戦は、NHK総合で15.3%をたたき出した。通常のリーグ戦でも15%以上が当たり前だった、Jリーグ黎明(れいめい)期とは確かに比べるべくもない。それでも、地上波での中継が限定的となった00年代のJリーグにあって、2桁の視聴率は久々の快挙であった。

 かように注目を集めたCSの第1戦を、1−0で勝利した横浜F・マリノス。しかし監督の岡田武史は、この勝利は「実は誤算だった」と告白している。第1戦を0−0で終えて、第2戦で勝負を懸ける──。それが指揮官が当初、思い描いていたゲームプランであった。

「0−0で終わっていれば、第2戦は様子を見ながら(相手が試合に)入ってくる。ゲームが膠着(こうちゃく)した中で、どこかで1点を取って勝ち逃げする。浦和(レッズ)に勝つには、それしかないと思っていた。ところが第1戦でこっちが勝ってしまったから、次は相手が本気になって前に出てくるでしょ。だから河合(竜二)のゴールが決まったとき、『(次で)勝ち逃げだって言ったじゃねえかよ!』とさけんでいたんだよね(笑)」

 一方の浦和は、第1戦の敗戦をまったく悲観していなかった。むしろ敗れはしたものの、「ウチの方が相手を上回っている」とブッフバルトは確信していた。

「なぜならウチの方が、しっかりボールを支配してチャンスも作っていたからです。勝敗はほんのわずかな差でしかない。それに次はウチのホームだから、圧倒的なサポートが得られるし、第2戦で必ず逆転できるという確信もありました。プレッシャーを感じるどころか、むしろ埼玉スタジアムで彼らを迎えるのが楽しみでしたね」

岡田は第2戦前に行ったキャンプの段階で勝利を確信したという(写真はW杯南アフリカ大会のカメルーン戦) 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 窮地に立たされていたのは、むしろ初戦に勝利した横浜FMの方であった。指揮官がようやく自信を取り戻したのは、第2戦を前に御殿場で行った3日間の短期キャンプ。その時に岡田は、ふいに「これは勝つな」と確信したという。そして傍らにいたコーチの樋口靖洋に「ヤス、ウチは勝てるよ」とつぶやいた。「それは心強いですね」と樋口は微笑んだが、どこまで理解できていたか疑わしい。この時の心境を、岡田はこう説明する。

「こういう感覚って、監督人生の中で何回かあるんです。ある種、『ゾーンに入る』というのかな。試合に関するすべてのことを、自分でコントロールできているような感覚。最近だと、10年のワールドカップ(W杯、南アフリカ大会)でのカメルーン戦(1−0)がそうだった。あの時も最初から『これは勝つな』という感覚だった。まあ、なろうと思ってできるものではないけどね」

「重要なポイント」となった中西の退場と三都主のゴール

浦和はCS第1戦からスタメンを2人入れ替えて臨んだ 【スポーツナビ】

 04年のCS第2戦は、12月11日に埼玉スタジアム2002で開催された。公式入場者数は、ほぼ満員の5万9,715人。初タイトル獲得に燃える地元サポーターの大声援に後押しされる浦和は、第1戦からスタメンを2人入れ替えてきた。対する横浜FMは、第1戦とメンバーは不動。「というよりも、けが人が多すぎて、これ以外には考えられなかったよね」と岡田は苦笑いする。

対する横浜FMは第1戦からスタメンの変更はなし 【スポーツナビ】

 岡田が戦前に予想したとおり、浦和が序盤から積極的に前に出てくるが、横浜FMもしっかりこれを受け止めて決定機をなかなか作らせない。何としても1点が欲しい浦和は、後半18分に平川忠亮に代えて、温存していた田中達也を切り札として投入する。エメルソン、永井雄一郎、三都主アレサンドロ、山田暢久、そして田中達也。警戒すべき選手が前線に増えたことで、横浜FMの守備は次第に分散されてゆく。そして後半29分、エメルソンを倒した中西永輔にレッドカードが提示される。さらに、ここで得たFKのチャンスを三都主が直接ゴール。ついに浦和が均衡を破った。

中西が退場し、そのプレーで得たFKから三都主(左)がゴール。第2戦は1−0で浦和が制した 【(C)J.LEAGUE】

「あれが重要なポイントでした。ただ(ゴール数で)追いついただけでなく、相手が1人減ったことで『これでいけるぞ!』と。その後さらに攻勢を強めましたが、追加点がなかなか入らない。確か90分が終わる直前、闘莉王がきれいなヘディングシュートを放ちましたよね。GKの正面でしたっけ? よく覚えています(笑)」(ブッフバルト)

「(90分が終了して)みんな悲壮感いっぱいの表情で戻ってくるんだよね。でも俺は、あまり動じなかった。まあ失点については『やられたなあ』とは思いましたよ。それでも『最後は勝つんだろうな』という確信があったから、延長戦になっても細かい指示をせずに選手を送り出しました。ピンチの場面でも、ベンチから立つことはなかった」(岡田)

 第2戦の90分が終わったところで、トータルスコアは1−1。試合は延長戦に入るが、当時は追加点が決まれば試合終了というVゴール方式であった。「おそらく岡田さんはPK戦を望んでいたんでしょう」とブッフバルト。しかし当の岡田は「Vゴールでウチが勝つだろう」と、あくまでポジティブに考えていたという。そんな中、今度は浦和にアクシデントが発生。得点源のエメルソンが、延長後半14分に河合の顔面をひざで蹴り、こちらも一発退場となる。ほどなくして、延長戦終了のホイッスルが鳴った。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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