2004年 最後にして最大のCS<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」
04年のCSが「最後にして最大」となった理由
証言でつづる「Jリーグ25周年」。今回は04年のCSについて、当時の監督に振り返ってもらった 【宇都宮徹壱】
この引退試合では、両チームの指揮官にも注目が集まった。ブルーフレンズは岡田武史、そしてレッズレジェンズはギド・ブッフバルト。ワールドカップ(W杯)2大会で指揮を取った日本を代表する名将と、現役時代に2度のW杯出場のキャリアを持つドイツ人指揮官。この両者の顔合わせに、横浜F・マリノスと浦和による04年のJリーグ・チャンピオンシップ(以下、CS)の記憶を重ねたファンも少なくなかったのではないか。
7月に行われた鈴木啓太の引退試合には、04年のCSに出場した選手や監督が数多く集まった 【(C)J.LEAGUE】
こうした状況の中で開催されたのが、同年12月に開催されたCSである。浦和が対戦することになったのは、ファーストステージの覇者であり、前年に完全優勝している横浜FMである。前年の03年のみならず、その前の02年もジュビロ磐田が完全優勝していたため、CSが行われるのは実に3年ぶり。加えて05年からは、1ステージ制への移行が決定しており、CSは04年で終了となる。こうした状況に加えて、日本を代表するビッグクラブ同士の対戦となったことで、この年のCSは「最後にして最大」の大会として記憶されることとなった。
7年ぶりに監督として帰ってきたブッフバルト
04年、ブッフバルトは7年ぶりに監督として浦和に復帰した 【(C)J.LEAGUE】
オールドファンにとってのブッフバルトといえば、1990年のW杯イタリア大会決勝で、ディエゴ・マラドーナにほとんど仕事をさせなかった鉄壁ぶりが印象深い。そんな彼も、今年で56歳。さすがに老眼鏡は手放せなくなっていたが、見上げるような長身と引き締まった体躯(く)は現役時代とほとんど変わらない。現在はフットボールの現場から離れ、シュツットガルトの監査役を勤めているという。今回、鈴木の引退試合で来日したタイミングで、都内でのインタビュー取材が実現した。
あらためて、日本におけるこの人のキャリアを振り返っておきたい。米国でのW杯出場を最後にドイツ代表から退き、94年8月から浦和で4シーズンにわたりプレー。97年のシーズン終了後に行われた退団セレモニーでは、白馬に乗って登場するパフォーマンスを披露して話題になった。ドイツに帰国してからは、カールスルーエSCで1年半プレーして現役を引退。以後、古巣であるシュツットガルター・キッカーズでアドバイザリー・スタッフとなる。もっとも、浦和とのやりとりはその後も続いていたようだ。
「現役を引退してからも、レッズのアドバイザーとして当時社長だった犬飼(基昭)さんとは連絡は取り合っていました。実はそれ以前にも『ぜひ(監督として)来てほしい』というオファーはいただいていたのですが、その時はシュツットガルター・キッカーズやカールスルーエとの契約が残っていました。それから監督のライセンスを取得して、ドイツでの仕事も一段落ついたときに、再び浦和からオファーをいただきました。そこで『時は来た』と思いましたね」
「プレーの質に大きな差はありませんでしたが、クラブがよりプロフェッショナルになったこと、そして若い選手の戦術理解能力が高くなった印象を受けました。幸い浦和レッズのサポーターは、私を温かく迎え入れてくれました。それは(監督の)仕事に取り組む私に大きな力となりましたし、仕事しやすい環境を作ってくれたことには、今でもとても感謝しています」