【ボクシング】“レジェンド”に完敗を喫した亀海喜寛 中量級以上にある世界トップとの隔たり

宮崎正博

亀海喜寛(左)が挑んだ初世界戦は、“レジェンド”コット(右)の前に大差判定負けとなった 【Getty Images】

 現地時間8月26日(以下同)、米国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊カーソンのスタブハブセンターで行われたWBO世界スーパーウェルター級王座決定戦、ミゲール・コット(プエルトリコ)対亀海喜寛(帝拳)の12回戦は、大差の3−0判定でコットが勝ち、亀海の世界初挑戦は失敗に終わった。

リングの“レジェンド”がベストの状態で登場

2年弱のブランクがあったコットだが、ベストに近い状態でリングに上がると、やはり強さが際立った 【Getty Images】

 正しい答えはたった一つしかない。“レジェンド”は“レジェンド”だったのである。その力は圧倒的だった。

 コットは2年弱のブランクを経てのカムバック戦。また12年以降の戦績は3勝3敗の五分にすぎない。さらに10月には37歳にもなる。日本のファンに希望を与えたそんな数字も、些末(さまつ)なデータに過ぎなかった。

「強かった。少しは力が落ちているかと思っていたけど、まったく落ちていなかった。そりゃ、かなわないよ」(本田明彦・帝拳ジム会長)

 21世紀の中量級ボクシングで、コットの存在感は五指に入る。手堅い守りに、素早いステップ、当たるを幸いに倒しまくるハードパンチ。出身地プエルトリコでは、長くトップヒーローだった。フロイド・メイウェザーJr.(米国)、マニー・パッキャオ(フィリピン)を始めとした、歴史的な強豪と繰り返し戦ってきた。そんなコットがベスト、もしくはベストに近い状態でリングに上がってきたら、栄光のハードルは果てしなくも高くなるのも当然だ。

 攻防兼備の強打者として日本では人気絶頂にあった亀海が、活動の軸を米国に移したのは6年前。世界に通じる力を身につけたかったからだ。ただし、亀海のその後のキャリアは苦労の連続だった。在米戦績3勝3敗2引き分け。日本ではいつしか“過去の人”にもなりつつあった。

 実際、もう34歳である。それでも自分の可能性を信じ抜き、年間最高試合の声も上がったヘスス・ソト・カラス(メキシコ)戦の痛快TKO勝利を手に、このビッグチャンスに臨んだ。だが、トップスターとの力量差をひたすら見せつけられる。

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著者プロフィール

山口県出身。少年期から熱烈なボクシングファンとなる。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。07年、編集長を経て再びフリーになる

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