【ボクシング】“レジェンド”に完敗を喫した亀海喜寛 中量級以上にある世界トップとの隔たり

宮崎正博

技もハートも……亀海は届かない

果敢に食らいついた亀海だったが、コットの高度なテクニックの前に形勢を逆転することはなかった 【Getty Images】

 亀海は勇敢に戦った。普段はテニス専用として使われる屋外アリーナに集まった7659人の観客は、コットという時代のスポーツヒーローに絶え間なく声援を送り続ける。そんな逆風にもめげず、とにかく前に出た。

「僕が勝つには乱戦に引き込むしかない」と出発前の日本で語ったとおり、スッポンのように食らいついた。序盤戦からコットをロープに押し込んで、腹、顔面と重い左右のパンチを打ち込んだ。

 だが、コットの反応が素晴らしい。巧みに上体を揺るがし、ひざを上手に折り曲げて、急所には絶対に当てさせない。亀海の攻撃の間隙(かんげき)をついて、右クロス、ストレートで急襲する。カリブの英雄の最大の武器とされる左フックをおとりに使ったり、左右を細かくブロックにまき散らして、ライバルの注意を散漫にさせた上で、右のパンチをねじ込んでくる。さらにすきを見ては横にステップを切って、さまざまなポジションから正確なブローを突き刺す。

 技巧レベルで格段の違いがあるのは明らかだ。ただし、亀海のアタックの連続にコットの心が折れる可能性もある。それも一縷(いちる)の望みに過ぎなかったことも、その後の展開で、とことん思い知らされた。ひしめくスターたちのサバイバル戦を戦い抜いてきたコットはハートのほうもスペシャルだったのだ。

 5回、亀海はタイミングをわずかに遅らせた右をヒットさせたが、コットは左フックから右ともっと強烈なパンチでやり返してくる。これも中盤戦、右方向にステップしながら攻めにつなげようとした亀海を、時間差で角度の違う3発のジャブではじいて、その意図をくじいた。緩急を織り交ぜ、角度を違えてさまざまなパンチのコンビネーションを作りだし、コットはいともたやすく亀海をコントロールしていった。

 まったくのワンサイド。尋常ならざるスタミナで前に出る亀海だが、もはや何もできないに等しかった。対戦者のパンチが当たる寸前に逆方向に頭を背けてよける高等テクニックのスリッピングアウェーを何度も見せる。それもかわした姿勢のままでしばし仁王立ちし、自分の防御力を強調するのだが、展開の中ではなんとなく浮いて見えたもの。終盤に入っても、亀海は果敢に戦ったが、形勢を逆転する芽は、まるで見えないままだった。

村田諒太、井上尚弥で一気に世界の頂上を狙え

完敗に終わった亀海だったが、これを糧にさらなる飛躍を誓った 【Getty Images】

 採点は120対108、119対109、118対110。誰が見ても、そんな数字どおりの試合だった。

「(亀海は)タフな相手と聞いていたが、戦ってみて十分に理解できた。でも、自分はベストを尽くして戦うだけだからね。12月にもう1試合やって引退する」。コットのコメントには余裕ばかりが漂う。

「正直、勝てると思って臨んだ戦いです。実力で勝ちたかった。負けたのは悔しいけど、それも経験だと思っています」と控室で日本の記者相手に答えた亀海は、その後の海外メディアとの応答でダメージを心配されると「上体の動きやスリッピングでほとんどのパンチは(威力を)殺していますから、大丈夫です」と強気にやり返していた。

 世界では中量級と言われるミドル級からウェルター級で歴史的なレジェンドに挑んだ亀海の戦いは“史上最大の戦い”とも言われた。まったく完敗に終わっても、最後まで望みを捨てなかった戦いっぷりは立派。これを糧にさらなる飛躍を誓うところにも、ボクシングにかける渾身を感じる。だが、トップとの隔たりはあまりに大きかったと言わざるをえまい。

 コットの戦力は中量級エリアでは8合目あたり。その下にはそれこそ無数の中堅、新鋭で形成される第三集団がいる。日本のトップはその下にやっとくっついている段階。残念ながら、冷静に見るとそういうことになる。

 億以上のマネーが飛び交う海外のトップシーンで活躍したいなら、日本のボクシング界は体重60キロ以上の人材育成が急務だろう。

 日本での意識を一変させるとしたら、井上尚弥(大橋)と村田諒太(帝拳)。軽量級(スーパーフライ級)で中量級レベルの破壊力を見せる井上は、9月9日、この日と同じ会場で米国デビューを行うが、その内容次第では米国でも引っ張りだこになるはずだ。アッサン・エンダム(フランス)との遺恨を引きずった再戦(10月22日/東京・両国国技館)になる村田が、今度こそ世界王座を射止めれば、若者の関心を大きく引きつける可能性もある。

 日本から見れば、はるか高嶺に見える世界のトップボクシングも、きっかけさえあればあっという間に追いつけるかもしれない。亀海の厳しい敗戦を目の当たりにしてもそう思う。

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著者プロフィール

山口県出身。少年期から熱烈なボクシングファンとなる。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。07年、編集長を経て再びフリーになる

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