数字が物語るネイマールのPSG移籍 意味を成さないFFP制度と複数年契約

エル・クラシコ開催も、完全に“二の次”に……

ネイマールのPSG移籍が成立。フットボール史上最大のインパクトをもたらすこととなった 【Getty Images】

 7月29日(現地時間)にバルセロナがレアル・マドリーを3−2で下したマイアミでの“エル・クラシコ(伝統の一戦)”は、多くのメディアにとって今季の両チームを分析する格好の材料となるはずだった。だが、それもネイマールのパリ・サンジェルマン(以下、PSG)移籍が間近に迫っていたことで、完全に“二の次”となってしまった。

 フットボールのレベルを考えれば、ネイマールはバルセロナに残るべきである。米国遠征を通し、バルセロナのチームメートたちは、その点を訴えることで慰留に努めてきた。ネイマールが最後まで迷っていた理由もまた、そこにあったはずだ。

 だがPSGはネイマールの契約解除に必要な違約金2億2200万ユーロ(約290億2000万円)だけでなく、ネイマール本人には年俸3000万ユーロ(約39億2000万円)の5年契約と出来高ボーナスを用意し、代理人を務める父親にも4000万ユーロ(約52億3000万円)の報酬金を支払った。フットボール史上最大のインパクトをもたらしたこの移籍により、ネイマール親子は総額およそ3億ユーロ(約392億円)もの大金を手にしたことになる。

 さらにPSGは、選手の肖像権も100パーセント本人に譲る意向のようだ。つまりネイマールはクラブのお墨付きを受けたスポンサーと個人的に一大契約を結ぶことも可能となる。そもそも、PSGの資金源であるカタールの王族は、ネイマールを2022年の自国開催のワールドカップ(W杯)におけるメーンの広告塔にすることを最大の目的としていた。彼らはネイマールの獲得をW杯のプロモーションと絡めることで、UEFA(欧州サッカー連盟)から受けるファイナンシャル・フェアプレー(FFP)の取り締まりを逃れられると考えているのだ。

さまざまな憶測を残してバルセロナを去る

ネイマールはバルセロナにやってきた時と同様、さまざまな憶測を残してクラブを去った 【写真:ロイター/アフロ】

 さらにネイマールの父親は、昨夏に21年まで契約を延長した際、バルセロナから2600万ユーロ(約34億円)の報酬金を受け取ることで合意していた。その契約を破棄して出ていく人間に対し、なぜバルセロナはそれほどの大金を払わなければならないのか。少なくない読者がそのような疑問を抱いていることだろう。だがそれも、PSGが違約金を全額支払った上での移籍であれば、何の規定違反にもならないのである。

 ネイマールはカタルーニャにやってきた時と同様に、さまざまな憶測を残してクラブを去ることになった。

 サントスFCからバルセロナへ移籍してきた13年当時、彼の獲得にかかった費用は5710万ユーロ(約74億6000万円)だと伝えられていた(現在の市場価格からすれば激安である)。その後バルセロナのいちソシオ(クラブ会員)が情報公開を求めてクラブを起訴すると、その額は7000万ユーロ(約91億5000万円)に修正された。さらにジョセップ・マリア・バルトメウ会長が8620万ユーロ(約112億7000万円)だったと説明するに至り、15年1月にはパブロ・ルス裁判官が9637万ユーロ(約125億9000万円)だったと結論づけている。

 バルセロナの経済部門を統括するジョルディ・メストレ副会長は「ネイマールが出ていくことは200パーセントあり得ない」と主張していた。だがPSGほどのビッグクラブに違約金を全額支払われてしまっては、バルセロナとしてはどうすることもできない。とはいえ、バルセロナは補強資金の使い方についていま一度、考え直す必要がある。

 16年の夏、バルセロナはパコ・アルカセルに3000万ユーロ(約39億2000万円)、デニス・スアレスの買い戻しに325万ユーロ(約4億2000万円)、サミュエル・ウムティティに2500万ユーロ(約32億7000万円)、ルーカス・ディーニュに1650万ユーロ(約21億6000万円)、アンドレ・ゴメスに3500万ユーロ(約45億7000万円)、ヤスパー・シレッセンに1300万ユーロ(約17億円)とトータル1億2275万ユーロ(約160億5000万円)もの補強資金を費やした。しかしウムティティ以外の選手はみな、1年も経たぬうちに余剰戦力となってしまっている。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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