ジャマイカで見た“世界最速の男”の起源 ウサイン・ボルト伝説の序章と栄光(前編)
父親譲りの恵まれた体躯 大自然の中で育った
秋田県ほどの面積、京都府ほどの人口しかない小国ながら、08年北京五輪で陸上短距離種目だけで6つの「金」を含む11のメダル(※)を獲得した。米国からスプリント王国の盟主の座を奪った秘密はどこにあるのか、それを探る旅だった。
※17年1月、男子4×100メートルリレーの金メダルは、ネスタ・カーターのドーピング再検査で陽性が出たため剥奪となっている
島の南東部に位置する首都キングストンから車に揺られること4時間。市街地、海岸線、舗装されていない山道と目まぐるしく風景を変えた道中の果てに、ボルト生誕の地はあった。
ボルトはキングストンに移ったが、両親は今もここで暮らす。父ウェズリー氏に会って納得したことがあった。ボルトの恵まれた体躯(たいく)は父親譲りなのだと。息子よりもがっちりした体格の父が、少年時代の息子の思い出を語ってくれた。
スタート前からカメラ目線と決めポーズで盛り上げ、静寂と威厳に支配されていた100メートルの光景を一変させた底抜けに明るい男は、幼少期からその片りんをのぞかせていたようだ。家の玄関から一歩外に出れば、そこは見渡す限り手つかずの大自然。その中をボルト少年は走り回って育った。
子供の頃は練習よりもゲーム!?
農業や小さな食品雑貨店で生計を立てていたボルト家は決して裕福ではなかった。「シューズとか大会に遠征するのにお金を工面するのはとても大変だったけど、今となってはその甲斐があったというものだよ」と父は振り返る。