ジャマイカで見た“世界最速の男”の起源 ウサイン・ボルト伝説の序章と栄光(前編)

山口大介

ジャマイカの登竜門「チャンプス」から羽ばたく

「チャンプス」の熱狂的な応援(2012年3月撮影) 【写真:山口大介】

 それでも覚醒のときは確かに訪れた。15歳の年、2002年はボルト伝説の序章として位置づけられるかもしれない。

 この年、ボルトは数々の大会で優勝をさらう。全国高校選手権(通称チャンプス)とカリブ海諸国のジュニア大会「CARIFTAゲームズ」の両方で200メートルと400メートルの2冠に輝いた。

 チャンプスはジャマイカ陸上界を語るうえで外せない存在だ。スポーツ大会の枠を超えた国民的行事で、キングストンの国立競技場は3万5000人で膨れ上がり、地元紙では連日一面に記事が載る。そして選手たちは人生を懸けて走る。大会で活躍できれば米国の大学に留学できるチャンスがあるからだ。毎年、米国から20人ほどのスカウトがチャンプスを視察に訪れ、数十人が卒業後に海を渡る機会を得るという。

 キングストンは失業率が高く、麻薬取引など犯罪がはびこる。滞在中、何度か昼間に道を歩いていて「ガンジャ(マリファナ)はいらないか?」と声をかけられた。そんなジャマイカでは貧困を脱出する手段の一つが陸上なのだ。

 ボルトもチャンプスで世界への扉を開けた。この年の大会で16歳以下の部で初優勝したボルトはその3カ月後、世界にその名をとどろかすことになる。

伝説の序章となった世界ジュニア選手権の最年少優勝

2002年の世界ジュニア男子200mを15歳で優勝したボルト。その年の「ライジング・スター」賞にも輝いている 【Getty Images】

 同じくキングストンの国立競技場を舞台に開催された世界ジュニア選手権。20歳以下の選手で争う同大会にボルトは15歳11カ月でジャマイカ代表に選ばれた。父ウェズリー氏によると、大会前は「年上の外国選手と走るのが怖くて『行きたくない』と泣いて嫌がった」という。

 結果は衝撃的だった。200メートルで史上最年少優勝を飾り、地元に唯一の金メダルをもたらした。ボルトは自伝で「この勝利は、俺が五輪の伝説へと駆け上がる第一歩となった」と記している。父も「あれで陸上で生きていくと決心したはずだ」と振り返る。

チャンプスを観戦していたボルト(2012年3月、キングストンで撮影) 【写真:山口大介】

 プレッシャーを乗り越えた自信と自覚は大きく、翌年もチャンプス(19歳以下の部)で200メートルと400メートルをいずれも大会新で優勝。世界ユース選手権も制した。さらに2004年は17歳で200メートルを19秒93で走り、世界ジュニア新記録を樹立した。

 この後、故郷のシャーウッド・コンテント村を離れ、キングストンに練習拠点を移している。プロとしての道を進み出したのだ。そして4年後、100メートルに本格参戦したボルトはニューヨークで9秒72の世界新記録を樹立。その勢いを駆って出場した北京五輪でスーパースターの地位を確立することになる。

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