ライバルたちに勝ち続けた“究極の善玉” ウサイン・ボルト伝説の序章と栄光(後編)

山口大介

ボルトが“史上最速の男”の称号を得たのは、100mを選択したことが大きかった 【写真:ロイター/アフロ】

 陸上の世界選手権が4日、イギリス・ロンドンで開幕する。今大会を「ラストラン」と公言して臨むのが“世界最速の男”ウサイン・ボルト(ジャマイカ)だ。

 その起源と栄光をたどるストーリーの後編。

“苦しい”400ではなく“不向きな”100を選択

09年ベルリンで19秒19の男子200m世界記録を出したボルト 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)の最も好きな種目が200メートルであることはよく知られている。2002年に世界ジュニア選手権を史上最年少の15歳で制し、世界への扉を開けた種目だ。

 ただ、そのまま200メートルを主戦場にキャリアを送っていたら、「生ける伝説」と呼ばれることも、40億円近い年収(米フォーブス2017年スポーツ長者番付によると3420万ドル)を稼ぐこともなかっただろう。やはり人類最速を決める舞台、100メートルに参戦したことがボルトを何倍もスケールの大きい存在にした。

 04年アテネ五輪、05年ヘルシンキ世界選手権、07年大阪世界選手権といずれも200メートルで出場し、予選落ち、8位入賞(決勝最下位)、銀メダル(優勝はタイソン・ゲイ/米国)と着実にステップアップしたボルトが、本格的に100メートルの挑戦を始めたのは08年の北京五輪イヤーだ。

 196センチの長身はストライドが長すぎ、速いピッチで脚を回さなければいけない100メートルには向いていないと見られてきた。苦手のスタートも致命的と思われ、コーチ陣はボルトに400メートルをやらせようとしていた。

 だが、ボルトは苦しい400メートルが大嫌いだった。

 100メートルで成功すれば400メートルをやらなくてもいい――。自ら持ちかけてコーチと交わしたという「取引」も、ユーモアに満ちたボルトらしいエピソードと言えるだろう。

最も印象的だった北京五輪100メートル決勝

世界に衝撃を与えた08年北京五輪100m決勝でのゴールシーン 【写真:ロイター/アフロ】

 本人の思惑通り、才能は100メートルで開花した。

 08年5月3日に地元キングストンで当時世界歴代2位の9秒76をマークして一躍注目されると、同月31日には米国・ニューヨークで9秒72(追い風1.7メートル)の世界新記録を樹立。同郷の英雄アサファ・パウエルの記録を0秒02更新した。100メートルに本格参戦してわずか5戦目というスピード出世だった。

 そして迎えた北京五輪100メートル決勝(8月16日)の走りは、五輪史上に残る名場面として刻まれた。

 人類初の9秒6台(9秒69)のタイムもさることながら、両手を広げてメーンスタンドの方を向きながらゴールする姿は、ボルトが持つ圧倒的な速さと規格外のキャラクターを象徴していた。

 翌年のベルリン世界選手権で出した現在の世界記録9秒58や、あのマイケル・ジョンソン(米国)の世界記録を破った北京五輪200メートル決勝も見事な走りだったが、ボルトで最も記憶に残るシーンといえば、やはり北京五輪100メートル決勝となるだろう。

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