米国で躍動する元高校トップランナーの今 2年半の“浪人生活”を経て、いざ世界へ

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嘱望され続けてきたスピードランナー

高校時代トップランナーだった打越雄允はなぜ米国を志したのか 【赤坂直人/スポーツナビ】

 オレンジのランニングシャツに青い馬のロゴ。6月に行われた陸上の日本選手権男子3000メートル障害決勝に、日本ではなじみのないユニホーム姿の青年がスタートラインに立っていた。強豪・國學院久我山高から米国のボイシ州立大に進んだ打越雄允、22歳。今季、米国の大学11校がしのぎを削る「マウンテン・ウエスト・カンファレンス」のクロスカントリー(8キロ)と3000メートル障害で2冠を達成するなど、活躍を見せた。4年ぶりの国内レースは8位と振るわなかったが、注目していた関係者は少なくない。

 陸上界では、早くから将来を嘱望されてきた一人だ。1993年世界選手権マラソン5位入賞の父・忠夫さんのDNAを受け継ぎ、得意の1500メートルは中学で全国チャンピオン、インターハイ2位の実績を持つ。高校時代の5000メートルの自己記録は13分59秒90で高校トップレベルだ。

 しかし、2013年3月の高校卒業時に「米国留学予定」と伝えられてから渡米までの2年半、陸上界の表舞台から一切姿を消して受験勉強に専念。アスリートとして伸び盛りのこの時期に、大きな決断を下していた。それでもなぜ打越は米国を目指したのか。

箱根駅伝をやりたいという気持ちにならず

昨年11月の「マウンテン・ウエスト・カンファレンス」クロスカントリー選手権を初制覇 【NCAA Photos】

 元から海外志向だったというわけではない。きっかけは「外国人のチームの中に一人、日本人が入るというのが自分的にかっこいいな」という、純粋な憧れだった。しかし、憧憬の思いが日に日に大きくなり、高校2年の冬には米国留学を決意。日本の大学からの勧誘も、すべて断った。

「いくつかの大学から話は聞きましたが、それでも気持ちは揺るぎませんでした。日本の大学に行って、箱根駅伝をやりたいという気持ちにはならなくて。僕のカテゴリーは1500、5000メートル。駅伝は僕の種目じゃないという考えもありました」

 ここから、前途多難な留学への道が始まる。スポーツ推薦で米国の大学に進むには、優れた競技実績に加えて、英語のテスト「TOEFL」や、現地の大学進学希望者も受験する共通テスト「SAT」のスコアなどが必要になる。競技では、3年次の日本選手権1500メートルでマークした3分46秒74の好タイムがアピール材料になった。レースの様子をDVDに収め、陸上部の有坂好司監督の知人を介して、いくつかの大学にアタックした。

 問題は学業の方だ。本人いわく「陸上しか頭になかった」高校生活。成績は決して良いとは言えず、長期戦を覚悟した。3年次の冬から留学予備校に通い、語学は何とかめどが立ったが、高校の成績によって必要スコアの目安が変わるSATは条件が厳しかった。

「SATはクリアーしないといけないスコアには到底及びませんでした。高校卒業後1年間はTOEFLとSATの2つを勉強していましたが、SATが免除になる方法はないのかと調べていたら、編入という選択肢を見つけて。編入するためには、日本の大学に入って好成績を取る必要があるんですよ。その年の12月に(受験を)決めて、センター試験なしで入れて、予備校にも高校にも近い大学を探して。そうしたらその学校は、入試で一定の点数を取ると奨学金が出るというので、『ちょっと一発懸けてみるか』と。そしたら、入試で良い点が取れて奨学金も出たので、予備校に通いながら大学に通うことにしました」

 本人いわく、一度決めたら抜け出せないタイプ。「走る時間をもっと勉強に使ったら、もっと早くに(米国に)行けるんじゃないか」と、当時は練習に身が入らず勉強に没頭。追い込み過ぎるあまり、帰宅中に倒れて救急車で運ばれたこともある。そして、高校卒業から2年半以上を経た2015年冬、「2年次への編入」という形でようやく米国行きの切符をつかんだ。

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