藤田とVVV会長が作った「10年プラン」 欧州初の日本人監督に向けた新たな挑戦

中田徹

ベルデン会長流の送り出し方

かつての本田圭佑(右)のように、ベルデン会長は藤田の価値を高めてから送り出してくれた 【VI-Images via Getty Images】

――本田選手はかつて「移籍した先での更衣室での振る舞いはとても大事」と言ってました。選手のオーラは、タイトル、代表チームでの活躍などから生まれます。VVVのキャプテンとして、エールディビジで半年間活躍したことは、CSKAモスクワのロッカールームに入っていく上で、彼にとって大事なことだったと思います。

ベルデン 覚えているだろうが、私は彼の移籍金を1000万ユーロに設定した。圭佑は「高すぎる! 200、300万ユーロ(約2億6000万〜3億9000万円)じゃないか」と言った。しかし、私は「それでは少なすぎる。なぜなら、君の次のクラブのチームメートは500万ユーロから1000万ユーロ(約6億5000万〜13億円)の値札が付いている。君はスーパースターだから1000万ユーロがふさわしい」と言った。

――その結果、本田圭佑は「1000万ユーロの男」としてCSKAモスクワの更衣室に入ったわけですね。

ベルデン そう。こうやってサッカー選手は自身のバリューを上げていく。圭佑はよく理解してくれた。それはトシ(藤田コーチ)にも当てはまる。トシもフェンロー市庁舎のテラスで優勝盾を掲げたんだよ! あの写真はずっと残る。

藤田 ハイさんは、「この瞬間、時代が変わった」と言ったんだ(笑)。僕はVVVで本当に良い時間を過ごせた。結局、僕はもうVVVを離れることになった。リーズ・ユナイテッドで新しい挑戦をする。僕はVVVでいい経験を積んだし、オランダ2部リーグのことを知り、エールディビジのことも分かっていたから、自分としたら次のステップに進むのがいいんじゃないか――。

 それが僕の判断であり、ハイさんの送り出し方でもある。ハイさんも、日本人としていろいろな世界を見た方が良いと考えてくれている。ハイさんには日本人を欧州の監督にしたいというプランがある。圭佑を獲得した時もそうだったけれど、「最初の1人を作る」というのが好きなんだ。

ベルデン トシは、ここで良い経験を積んでくれたと思う。欧州のサッカーカルチャーだけでなく、キャラクターも深く理解しただろう。つまり、欧州と一口に言っても、ドイツ人、オランダ人、フランス人……、人々のキャラクターは全く違う。そのことを知り、身をもって経験した上で、トシは選手たちやクラブで働く人たちと付き合わないといけない。こうした経験を積むことによって、引き出しを増やして、いずれ日本に帰ってほしい。

――ベルデン会長と藤田コーチはお互いに知っていましたが、現場のコーチは藤田コーチを知らなかったと思います。そこは難しかったのでは?

藤田 少しずつ関係を築いていった。今は本当にいい関係になった。自分はモウリスを信頼しているし、モウリスも自分を信頼している……。きっと!(笑)

ベルデン モウリスはトシのことを本当に信頼しているよ。とりわけ最初がトシにとって肝心だった。まず、彼はオランダ式のサッカーをしっかり学びながら、しっかりチームになじみ、選手やクラブのスタッフとの関係を深めて、チームの一部となっていった。そこは自分自身で解決していったこと。また、他のクラブにもたくさん視察に行っていた。欧州でプレーされているフットボールのスタイルを理解すること。それが、ヨーロッパではとても大事だ。VVVをベースとして、イングランド、ドイツ、スペインといった国をトシは周っていた。

今はちょうど折り返し点、夢の途中

VVVに帰ってきて欧州初の日本人監督となることが2人の作った「10年プラン」の目標だ 【中田徹】

――リーズの話を聞かせてください。

藤田 幸い、リーズの新しいオーナーは若く、新しいことへのチャレンジを進めている。日本、アジアへの進出にも非常に興味を持っている。リーズでは「ヘッド・オブ・デペロップメント・アジア」という役職に就いて、アジアと良い関係を築く。最大の目標はあくまでもプレミアリーグへ昇格しEL(ヨーロッパリーグ)、CL(チャンピオンズリーグ)に出場するチームにすること。

 その過程でコーチングスタッフやクラブスタッフとのコミュニケーションをはかり、指導者としてチームに入る流れがベストだと考えている。それはVVVでやってきたことと変わらない。悔しいことでもあるが、現状ではまだアジア人が欧州でコーチとなれる土壌は作れていない。選手がいるから俺がコーチになってチームに入るという形で行くことがベストだと考えられている。

――「選手がいるから」とは、どういう意味ですか?

藤田 ストレートに言うと、アジア人が欧州でプロクラブの監督、コーチになるのは非常に難しい。それは自国にたくさん指導者がいるから。

――VVVでは日本人選手と関係なくコーチになれたのでは?

藤田 結局、VVVでも最初はそうだった。圭佑が頑張ってくれて良い流れを作ってくれたから僕がVVVに来ることができた。それがなかったら、僕はVVVでコーチにはなれなかったと感じている。しかも、僕がVVVに来た最初の半年はトレーニー(研修生)扱いで、選手たちからは大津のパーソナルトレーナーだと思われていた。

 だけど、ハイさんは、自分のところで初の日本人監督を作って、代表監督にしたいと願っている。その「10年プラン」を達成するためにも、このタイミングでもう一度新たなチャレンジをしてくるよ!

ベルデン トシがVVVで監督を務めることが「10年プラン」の目標。まだわれわれには5年もある。今はちょうど折り返し点だよ(笑)。

藤田 夢の途中だよね。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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