深大寺そば食ってクリンチャー「競馬巴投げ!第145回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

“バラタナゴ親子そば”ネーミングもロマンチックだなあ

[写真3]ダンビュライト 【写真:乗峯栄一】

「でも、店長さん、魚が頬を染めるっていうのは、いいですよね、こう、心が潤うっていうか」

「でしょ?」と店長は顔を上げる。

「そう思うんだ、わたしも。さらに、バラタナゴのオスは頬を染めたらこうやって、腹びれを使ってため池の底の適当なイシ貝を囲ってメスを呼ぶ。オスから呼ばれたメスは腹から垂れ下がった管をこうグイッとイシ貝の中に差し込む、バラタナゴはメスが差し込むんです。その直後にオスがイシ貝めがけて精子をかける。かけられたイシ貝だって驚く、いきなり頭の上から管が入ってきて卵落とされたと思ったら、そのすぐあとにオスの精子までかけられる、でもイシ貝は、イヤ、もうやめてって、何すんの!って、そんなこと言わないんです。イシ貝はバラタナゴの卵がふ化し稚魚として成長するまで自分の貝殻の中で育てるんです、そういう意味ではイシ貝も偉い。偉いことは偉いが……、いや、もしかしたらイシ貝というのは“かけられる”のが好きなのかもしれない」

「……はい」

「そうだ、新メニュー作ろう、田村のおばちゃん(と、パートのおばちゃんに声を掛け)“バラタナゴ親子そば”だ、隣の野川行けばバラタナゴもイシ貝も一杯いるんだから、これをセットでカケそばに乗せる、“バラタナゴ親子そば”ネーミングもロマンチックだなあ」

「でも店長さん、バラタナゴとイシ貝って親子なんですか?」とぼくが聞く。

「うん?」

「親子丼のトリ肉と卵っていうのは、まあ親子といっても間違いじゃないでしょうけど、そのバラタナゴっていう魚とイシ貝って貝は別に親子じゃないんでしょ?」

「まあ、そりゃ親子ではないけど、でも里親ぐらいではあるだろうよ、だって自分の子供託してるんだから」

「……はあ、なるほど」

わたしは“液体そば屋”をやりたい

 翌年のダービーの翌日、その同じ店に行ったら、ちゃんと「バラタナゴ親子そば」がメニューに入っていた。

 調布飛行場脇の野川の浅瀬に入って、店長はバラタナゴとイシ貝を大量に捕ってくるらしい。タナゴのウロコを取り、ハラを出してカラアゲにし、イシ貝も砂を吐かせて一晩寝かせたあと、酒、ミリンでぐつぐつ煮て、店長の飲食店経営20年の経験すべてを注ぎ込んだと言っていた。

「でもダメだった」と店長は俯く。「恐る恐る客に出したら、『ゲッ』と言ってその客、失礼にもその場で吐き出した。バラタナゴの方はまだしも、イシ貝の臭さが取れてなかったようだ。だいたいひとの卵や精子を文句も言わず受け容れるなんて、イシ貝の了見からしてひん曲がっているんだ。まあ、それを初めから予見できなかったわたしの方が悪いかもしれないが」

[写真4]アルアイン 【写真:乗峯栄一】

「でもそれからしばらくして、別に、新メニュー失敗の罪滅ぼしという訳でもないが、わたしは田村のおばちゃんを府中競馬場に誘った。買い出しに使う大きな荷台の自転車に座布団を敷いておばちゃんを座らせ、野川堤防沿いの道から甲州街道を走ったあと、多摩川河川敷に出る。競馬場に行くには大変な遠回りだけど、わたしには目当てがあった。排水の流れ込む野川のバラタナゴとイシ貝だから臭かったんじゃないか、本流多摩川の水流豊な所のバラタナゴとイシ貝なら“親子そば”に使えるんじゃないかなどと、まだ未練たらしく思っていた。でもダメだ。堤防に自転車止めて、おばちゃんと二人、川に入ってみたが、流れが速くて、バラタナゴなんかどこにいるか分かりゃしない。イシ貝だって、あれはたぶん、野川のような濁った川だから棲息するんだな、清い所には住まない貝で、だから臭いんだ、だから色んなものかけられても平気なんだと変なところで納得してしまった」

 しばらく間を置いたあと、店長はまた話し始める。

「随分久しぶりに見た競馬場だったけど、ここでも自分に変な感覚が出てきました。パドックで馬を見ても“違うんじゃないか”と感じる。“液体を出せ”と言ってしまう。ごくたまに馬がウンコしたら、おっと言って柵から身を乗り出し、無意識に観察するけど、それでもそれがもしゴソッという感じの馬糞なら“もっと液体を”と思う。馬体はいいから各馬の糞、尿、汗、血液、生殖器分泌液を回転寿司カウンターのようなものに乗せて回せと思う。写真判定で同着となったレースでも“液体はどうなんだ”と思う。たとえ鼻端が同着でも“鼻端からは更にいくばくかの液体が出てるだろう、液体まで含めて判定しろ”と文句を言う。わたしはいつからこんな液体人間になったんだろうと思いました。わたしは“液体そば屋”です」

「はあ」

「わたしは“液体そば屋”をやりたい」

「は?」

「バラタナゴ親子そばは失敗したが、今度は違う。“液体そば屋”といっても、液体のそばを食べるんじゃない。液体を考えながらそばを食べる。そばを、もうザルでもカケでもテンプラでも何でもいい、ズルズルとすするとき“必ず液体に思いを馳せる”というコンセプトにする。これこそ、液体の地・深大寺の原点じゃないかってわたしは府中競馬場に行って気がついたんです」

(※編注:登場する人物、内容には一部フィクションが含まれています)

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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