ピーター・アーツが“本当の引退試合”
母国オランダでキック人生に終止符
母国オランダで“7年越しの引退試合”を行った“ミスターK−1”ピーター・アーツ
母国オランダで“7年越しの引退試合”を行った“ミスターK−1”ピーター・アーツ【(c)WFL・スパイクTV】

 ようやく本国オランダでピーター・アーツが引退試合を行った。舞台はメルビン・マヌーフが主催する「WFL」のリング上。マヌーフが主催する「WFL」はグローリーの前身であるイッツ・ショウタイムのコンセプトを引き継いでいる。

 設営、運営、花道そしてダンサー。そのままイッツ・ショウタイムの当時のシステムを採用している。思い起こせばイッツ・ショウタイムは欧州キックの帝王と称されたロブ・カーマンの引退試合を手がけたことが始まりで第2回大会では現ボスジム会長のアイファン・ヒポリットの引退試合を手がけた。


 マヌーフはイッツ・ショウタイム同様に「WFL」のリング上でアンディ・サワーのキック引退試合を昨年手がけた。そして今回はピーター・アーツの引退試合を手がけることとなった。10月にはマヌーフ自身の引退試合を「WFL」のリングで行うことも発表された。オランダではトップとして名を馳せた往年の有名選手たちが徐々に引退していくことだろう。

K−1とともに歩んできた“戦うレジェンド”

リング上に集ったセーム・シュルト、アーネスト・ホースト、レミー・ボンヤスキー、メルビン・マヌーフたちかが祝福
リング上に集ったセーム・シュルト、アーネスト・ホースト、レミー・ボンヤスキー、メルビン・マヌーフたちかが祝福【(c)WFL・スパイクTV】

 アーツである。23歳でK−1の第2代王者となって以来アーツは選手人生の全てをずっとK−1とともに歩んできたことは周知の事実である。K−1を背負いK−1に誇りを持ちミスターK−1として46歳の今日まで黙々と日本の舞台で生きてきた。ここ数年は戦うレジェンドと呼称されていた。


 試合後の引退セレモニーで、リングアナの最初の一言が多くの意味を含めていた。

「アーツさん。本当に、本当に、これで引退ですよね?」と。

「WFL」の主催はマヌーフだが今大会のプロデュースはスパイクTV提供によるものだ。事前PRでアーツ引退をテレビで大々的に告知して視聴者を獲得している以上、まさかの引退撤回となればテレビとしては大きな不祥事となる。リングアナの問いかけにアーツは、「はい。これで僕はキック選手から引退です」と述べた。

 リング上に集ったセーム・シュルト、アーネスト・ホースト、レミー・ボンヤスキーそしてメルビン・マヌーフたちから感謝と祝福とはなむけの言葉が次々と述べられていた。

7年越しの母国での引退試合が実現


 思い起こせば2010年のK−1ファイナル。それに臨む姿勢を問われたアーツは「この大会が自分にとって最後の試合になる」と語った。十分に引退と受け取れる言葉である。映像としても残っている。実質的にこの2010年K−1ファイナルで選手としてのアーツは燃え尽きていただろう。

 翌11年には旧K−1が金銭不祥事で行き詰まりをみせた。アーツは自然とK−1から離れプロレスを始めた。旧K−1終了とともに選手としてのアーツも終焉していたと言ってよいだろう。2010年12月以後のアーツの今日までの7年間は小説で言えば『あとがき』ようなものだったのではないか。


 そんな曖昧な生活の中で自分が心から納得できる場所でキックボクサーとしての区切りをつけたいと願っていたのは当然だ。しかし旧K−1が消滅へとなる中で不遇も重なる。2011年からアムステルダムではキックの大規模大会は許可しない方向性となった。そして各都市の市長たちは横で連携しこの判断はオランダ大都市全部に広がってしまった。旧K−1が消滅し同時にイッツ・ショウタイムも消滅。関係者と行政との強い話し合いは根気強く5年続いた。そしてようやく雪融けを迎え再び大規模大会の許可が降りるようになったのが昨年だ。


 その冬の時代の2012年にタイロン・スポーンとの引退マッチがベルギーで行われた。これがオランダ開催であったならばアーツは正式に引退を終えていただろう。ふと、思ったはずだ。なぜ隣国ベルギーで俺は引退なのか? 開催に関する事情はあるにせよ自分の心に結局承知できないものが消えないからこそ試合直後の引退撤回となったのだろう。2013年には日本でも引退試合をしたがそれもやはり納得できない自分がいたのだろう。不承知となった自分の心を見つめれば、やはりそこにあるのは自分の国オランダで家族や仲間や関係者に見守られ、自分の気持ちを母国語オランダ語で語り、選手人生の締め括りとしたいという気持ちだったはずだ。

“戦うレジェンド”に場内総立ちで温かい拍手
“戦うレジェンド”に場内総立ちで温かい拍手【(c)WFL・スパイクTV】

 マヌーフの「WFL」はそんな冬の時代に小規模で誕生し中規模のイベントに成長した。昨年のサワーのキック引退興行を観戦したアーツが旧知のマヌーフが手がける「WFL」に己の締め括りの場を見出したことは容易に想像できるし、マヌーフがアーツに引退試合開催を申し出るのもアーツがそれを求めていたことも、まさに時機一致した時の流れの必然だったように思える。


 場内総立ちで迎えられたアーツ。対戦を務めた若者はアーツの攻めをひたすら受けとめていた。敢えて反撃らしい反撃やダメージになる攻撃はしない。アーツは今の自分にでき得る最高のコンディションで今日を迎え、K−1時代に駆使してきた自分のあらゆる技をこの若手相手にぶつけ観客に披露した。

 もちろん切れもスピードも格段に落ちている。アーツ自身が若き全盛期のアーツ自身を懸命に実践している図。ランバージャックの代名詞となったハイキック。そしてロー、パンチ、ヒザ。自分の技を全て繰り出して奮闘するアーツ。

 年齢とともにすっかりバランスの悪いアーツの動きを見つめていて不謹慎は承知ながら晩年のジャイアント馬場の試合姿が思い浮かんでしまった。もうすぐ50歳も間近なアーツの一つひとつのその攻め技に観衆は喜び笑い反応し最後は温かい拍手が場内全体を包んだ。


 ほぼ同じ日に、日本の新生K−1のリング上に旧K−1初代王者ブランコ・シカティックがプレゼンテイターとして登場していた。ずっと今も兄弟のように仲の良いシカティックとアーツだ。互いの所属選手を引き連れてセコンドとして新生K−1に登場する日が近いかもしれない。いみじくも11月23日には新生K−1がヘビー級トーナメントを開催すると発表。本格的な世代交代のとても大きな新たな流れが始ったようだ。

メルビン・マヌーフ主催「WFL5」結果

マサロ・グランダーの父ロドニー・グルンダー42歳も引退試合
マサロ・グランダーの父ロドニー・グルンダー42歳も引退試合【(c)WFL・スパイクTV】

4月23日(日)オランダ・アルメレ市トップスポーツセントラム


<ピーター・アーツ引退試合>

○ピーター・アーツ

(判定)

●ノルディン・マヒーディン(フランス)


引退試合の相手を務めるのは難しい。フランスからの28歳の現役若手がキック史上で超有名人の引退試合を務めるのだ。白羽の矢に快諾したマヒーディンはおそらく考え悩んだことだろう。そして下したのはアーツの攻めを全て受けとめるという決断だったように思える。アグレッシブなマヒーディンが徹底的に受けに回りそして適切な要所で軽い反撃を仕掛けることが誘い水となって更なるアーツの攻撃を誘発させていた。マヒーディン、立派である。


<ロドニー・グランダー引退試合>

○ロドニー・グランダー(FCアムステルダム)

(判定)

●デニス・ストルツェバッハ(シャムジム)


長年キックとMMAの両刀使いで名を馳せたロドニー・グランダー42歳の引退試合。メジロジム、マイクスジム、カルビンジムと渡りながら今はファイトクラブアムステルダムでコーチを務める。MMAの才能が開花し2H2Hという団体ではヘビー級王者として一時期君臨した。息子マサロ・グランダーはマイクスジム所属で日本のK−1で活躍している。今日の引退試合の勝利によってグルンダーのキック生涯戦績は23戦16勝7敗5KOで〆となった。


<WFLヘビー級タイトルマッチ>

○ムラト・アイグン(Tアーツ)

(判定)

●エロル・スィンメルマン(ヘメルスジム)

※デアイグンガ初代王者就任


スィンメルマン(日本ではジマーマン)がケガからの復帰で初のWFL参戦。アイグンはアーツが見出し育てた選手。互いにパンチが持ち味で一歩も退かぬ攻防は場内を熱くする。2Rの一瞬の交差でスィンメルマンのフックを受けたアイグンがダウン。かなりのダメージでもはやこれまでと思われたが上手くパンチをかわしながらダメージから回復しつつ的確に反撃に転じたのは見事。3Rはしっかりと逆に追い込んで判定は微妙と想定されたが、序盤と終盤の攻めが2Rのダウンを上回ったと判断されアイグンが初代王者に。スィンメルマン陣営は延長を予想したがジャッジの判定にはそれなりに納得の表情。アーツ引退後にヘビー級王者としてアーツジム所属選手が誕生した。


<70kg4名トーナメント 第1試合>

○レドアン・ダウディ(オトマニジム)

(判定)

●ワレン・ステフェルマンス(ボスジム)


<70kg4名トーナメント 第2試合>

○ウィリアム・ディンダー(ボスジム)

(判定)

●マイケル・ベンベン


<70kg4名トーナメント 決勝>

○ウィリアム・ディンダー(ボスジム)

(2R TKO)

●レドアン・ダウディ(オトマニジム)

※ダウディ膝負傷でディンダー優勝


予選で元K−1MAXオランダ王者の実力者ステフェルマンスを見事に下したダウディ。しかしながらかなりのローをもらい右膝はすっかり大ダメージ。一方予選を楽に上がったディンダーはボスジム仲間の恩恵を蒙り労することなくダウディの右膝にローを叩きつけた。ダウディもかなりの反撃を試みたが2R中盤で立てなくなりレフェリーストップとなった。


<86kg4名トーナメント 第1試合>

○エルトゥルル・バイラク(オトマニジム)

(判定)

●エロル・コニング(マイクスジム)


<86kg4名トーナメント 第2試合>

○ダリル・シットマン(Tシットマン)

(判定)

●デニス・イペナ(マヌーフジム)


<86kg4名トーナメント 決勝>

○エルトゥルル・バイラク(オトマニジム)

(判定)

●ダリル・シットマン(Tシットマン)

※バイラクが優勝


シットマンはボクシング技術が高くKOファイター。バイラクは予選でマイクスジム選手を完全に圧倒。シットマンとの対戦ではパンチ技術にかなり苦戦するもジャッジの判定はバイラク。勢いの止らぬオトマニジムがWFLでとうとう優勝者を輩出。


<95kg4名トーナメント 第1試合>

○イブラヒム・エルボウイ(ジムハーレム)

(3RKO 右フック)

●ファビオ・クワシ(マイクスジム)


<95kg4名トーナメント 第2試合>

○ブライアン・ダウエス(マイクスジム)

(判定)

●レドワン・カイロ(ムシドジム)


<95kg4名トーナメント 決勝>

○ブライアン・ダウエス(マイクスジム)

(不戦勝)

●イブラヒム・エルボウイ(ジムハーレム)

※エルボウイの欠場によりダウエス優勝


今年日本のK−1に参戦したエルボウイ。初戦で前回優勝のクワシを3R0分02秒に右フック一発でKOし強烈な印象を場内に与えた。一方のダウエスは日本の巌流島の初代王者。ジムをマイクスジムへ移籍し初試合を判定勝利し決勝へ。しかしエルボウイが予選で足を負傷してしまい欠場したためダウエスが不戦勝で優勝。

遠藤文康

スポナビDo

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