ロン・ハーパー、NBAの栄光と今を語る 「今のレイカーズにはベテランが必要」

鈴木栄一

NBAの名選手、ロン・ハーパーが自身の栄光のキャリアと今のNBAなどを語った 【スポーツナビ】

 全てのNBA選手が何よりも切望するものといえば、優勝した証として与えられるチャンピオンリング。世界最高のバスケットボールリーグであるNBAで、それを手に入れることは本当に難しい。しかし、ロン・ハーパーは、それを5つも手にしている。NBAの歴史において数少ない多くの栄光をつかんだ名選手だ。

 そんな彼が自身のキャリア、ともに戦ったスーパースターたち、そして今季のNBAを語った。(文中敬称略)

「5回も優勝できたのは素晴らしいキャリア」

――まず、あなたの素晴らしいNBA選手としてのキャリアを振り返っていただけますでしょうか。NBAで最初に所属したチームは、オハイオ州デイトン出身で大学もマイアミ(オハイオ州)(※注)だったあなたにとって、地元のクリーブランド・キャバリアーズでした。

 NBAでプレーするのは子どもの頃の夢がかなうことで、素晴らしい経験でした。その中でも最高の瞬間といえるのは1986年6月17日、NBAドラフトで自分の名前がクリーブランド・キャバリアーズから呼ばれたことだね。

 キャバリアーズでプレーすることはオハイオ州出身の僕にとっては特別なことです。マーク・プライス、ブラッド・ドアティ、ホットロッド・ウィリアムス、フィル・ハバードなど優れた選手たちと一緒にプレーし、1989年ロサンゼルス・クリッパーズにトレードされました。その後、ACL(前十字靭帯)を痛めてしまいましたが、キャリア最後の7年間はシカゴ・ブルズ、ロサンゼルス・レイカーズと強豪に所属し、5つのチャンピオンリングを獲得し選手生活を終えることができたのです。

――ブルズで3つ、レイカーズで2つと計5つのチャンピオンリングを獲得しました。あえてこの中で最も印象に残っている優勝は何回目なのか教えてください。

 自分の夢が実現した1回目の優勝が最も特別です。多くの偉大な選手がいました。どんなスポーツでも優勝することは簡単ではない。それだけに5回も優勝できたのは素晴らしいキャリアだったと思うよ。

※注:マイアミ大学というと、フロリダ州マイアミにある同大が有名だが、オハイオ州にもマイアミ大があり、こちらのマイアミ大を記載する場合、英語ではマイアミ(オハイオ)と表記する。

自分はディフェンスに優れた選手

ブルズ移籍後はスタープレーヤーたちのサポート役として存在感を発揮 【Getty Images】

――キャバリアーズ、クリッパーズ時代のあなたは1試合平均で20得点以上を挙げたこともあるなど、エーススコアラーの1人でした。それが1994−95シーズン、ブルズに移籍するとチームにはマイケル・ジョーダンがおり、サポート役となります。この役割の違いへの適応に苦労することはなかったですか?

 難しいことではなかったね。キャリア最初の8年、9年は得点面で注目されていたけど、自分のことはいつもディフェンスに優れた選手だと思っていました。ブルズに移籍した時、チームにはジョーダン、スコッティ・ピッペン、トニー・クーコッチ、スティーブ・カーと素晴らしい選手たちがいました。(自分は)チームの求められる役割にフィットするだけです。ジョーダン、ピッペンを支えることになるとは加入前から分かっていました。もし、試合でジョーダンと自分がそれぞれ25本シュートを打ったら、それは良いバスケットボールとは言えません。

――ブルズで優勝した時は、多くのベテランプレーヤーが一緒にいました。一方、レイカーズで優勝した時、当時の中心選手であるシャキール・オニールは20代中盤、コービー・ブライアントは20代前半と若かった。ベテランとして若いチームをまとめるのは難しかったですか?

 レイカーズで2度の優勝を達成した。この結果が、全てを物語っていると思うよ。

――ジョーダン、ブライアント、オニールといったスーパースターたちとの思い出について教えてくれますか?

 ジョーダンは私より年が1つ上の同世代で、彼と一緒にプレーして普段の行動から一緒にできたのは素晴らしい体験でした。彼は日頃から本当にハードワークをしていた。若いコービーとシャキールは、どちらがチームの主役になるかという面でうまくいかなかったね。もし一緒にプレーすることができていたら6個、それ以上のリングを手に入れていたと思います。ただ、2人ともすでにクォリティーの高い選手であり、とても尊敬していたよ。

――もし、あなたがヘッドコーチ(HC)として、ジョーダン、ブライアントのどちらかを選ばければいけないとなった時、どちらを選択しますか?

 ジョーダンだね。彼の方が多くのリングを持っているからだよ。

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著者プロフィール

1977年、山梨県生まれ。アメリカ・オレゴン大学ジャーナリズム学部在学中に「NBA新世紀」(ベースボールマガジン社)でライター活動を開始し、現在に到る。毎年、秋から冬にかけて母校オレゴン・ダックスの成績に一喜一憂している。

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