過去に学ぶことは「時代遅れ」ではない 川内優輝が綴る「対世界」への本音(3)

構成:スポーツナビ

「市民ランナー」として道を示してきた川内優輝。2020年東京五輪に向け、次世代の選手へアドバイス 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 学習院大学時代には関東学連選抜のメンバーとして箱根駅伝に出場した川内優輝(埼玉県庁)。卒業後は実業団に進まず、埼玉県職員として働きながら、「市民ランナー」として数々のマラソン大会に出場してきた。

 実業団に進むエリートランナーとは違う道を選んだことで、自分の力でマラソンに対して真摯に取り組み、真剣にマラソンについて考えてきた。その歩んできた道は、後に続くマラソンランナーたちに新たな選択肢を示した。

 川内に本音を綴ってもらった手記の最終回は、これからの選手たちへのアドバイス、そしてマラソンランナーとしての夢を語ってもらった。

初マラソンから「サブ10狙い」は首を絞めるだけ

(2020年東京五輪に向けて、大学生などの若い選手がマラソン挑戦する機会も増えている)2015年の北京世界陸上の男子マラソンでは、当時19歳のギルメイ・ゲブレスラシエ選手(エリトリア)が金メダルを獲得しました。さらに20歳となった翌年のリオ五輪でも4位に入賞していますし、その3カ月後にはニューヨークシティーマラソンで優勝しています。また、ドバイマラソンでは10代のエチオピア人選手(ツェガエ・メコネン・アセファ)が2時間4分台の記録で走ったこともあります。

 ただ(若い選手が活躍する)その一方で、マラソンは「経験のスポーツ」だとも思っています。どちらの観点からも、若い選手が体力もスピードもあるうちからマラソンを意識するようになってきたことはいい傾向なのではないかと思います。実際に私も学習院大学在学中に挑戦した2回のマラソンから学んだことは数多くありました。マラソンは実際に走ってみないと机上の空論だけでは分からない部分がたくさんあると思います。

 ただ、そのような若い選手のマラソン挑戦が増えてきている中で、2点ほど気になることがあります。

 1点目は初マラソンから目標が高すぎる選手が多いことです。これは周囲の人間やマスコミにも責任はあると思いますが、走ったこともないマラソンに対して軽々しく「最低でもサブ10(2時間10分切り)」などと発言してしまう選手が多すぎる気がします。「5分台、6分台を狙っているのだから初マラソンでサブ10くらいは当たり前」、「サブ10なんて30年前の記録」と甘く考えている若手のスピードランナーが多いように思うのです。

 しかし、「サブ10」は国際陸連による長距離選手の格付けでいうと、最高レベルのゴールドラベルに相当する記録であり、彼らが考えているほど簡単に出せる記録ではないと思います。少し考えれば分かることですが、日本には大学生のうちに「サブ10」で走った選手は過去に2人しかいませんし、初マラソンで「サブ10」で走った選手も10人もいません。

 私の初マラソンも別府大分の2時間19分26秒でしたし、瀬古(利彦)さんや宗(茂、猛)兄弟に中山(竹通)さんといった名ランナーも、持ちタイム現役トップ3の今井(正人)選手、藤原新選手、前田(和浩)選手も初マラソンはサブ10ではありませんでした。もっと言えば、ゲーレン・ラップ選手(米国/リオ五輪・銅メダリスト)もリオ五輪の時点ではサブ10ランナーではありませんでしたが銅メダルを獲得しました。

 記録というものは当日の天候やレース展開次第では出せないものです。先人達が「マラソンは記録より勝負」と言ってきた意味がマラソンを何十回も重ねる中で、ようやく私にも分かってきました。ですので、若手のスピードランナーは「初マラソンから記録を残さなければ」という周囲の期待から「最低でもサブ10」と発言してしまうのかもしれませんが、そうした発言をすることは自分で自分の首を絞めるような発言なんじゃないかな、と思っています。

 最終的に5分台や6分台を出せばいいのであって、「初マラソンから上手くやってやろう」と思って突っ込んで大失速して地獄の苦しみを味わった挙句に、故障して自信を無くしてトラウマになるくらいなら、「初マラソンの記録なんて関係ない。最終的に目標を達成できればいいんだろ」という気持ちで自分にあったペースで余裕を持って挑んだ方が「マラソンは楽しいな」という気持ちでゴールができ、その後のマラソンにも良い心理状態で挑めるのではないかと思います。

マラソン前に長距離走を行う意味

 2点目は初マラソンで結果を出した若手選手の「本番までに30キロ走しかやらなかった」、「40キロ走を1本しかやらなかった」というようなコメントを称賛する風潮があることです。

 確かに初マラソンで40キロ走をやらずに、もしくは1本しか走らずに良い結果が出たのであれば、「すごい可能性を秘めている」、「もっと練習をすれば、もっと強くなる」と期待値は上がります。しかし、こうして期待値が上がるということは必ずしもいいことばかりではありません。2回目以降、初マラソンの記録が大きなプレッシャーとなって、その選手にのしかかってきてしまうからです。

 実際に初マラソン日本最高記録を持つ藤原正和さん(現・中央大陸上競技部駅伝監督)を含む歴代5位以内の選手は、16年12月現在で全員初マラソンが自己ベストになってしまっています。もちろん、藤原さんは3回も世界陸上のマラソン代表になりましたし、歴代2位の森下(広一)さんも日本人男子最後の五輪メダリストなので初マラソンの自己ベストを更新できていなくとも大活躍をされています。

 ただ、どんなに世界大会で活躍しても初マラソンの記録を引退まで更新できないということに対しては、勝つことと共に「1秒でも速く」ということも意識しているアスリートとしては、いろいろと考えてしまう部分もあるのではないかとも思っています。

 また、マラソン前に長距離走を何回か行う意味は「本番で結果を出すためだけ」ではなく、「本番で結果を出した後にケガをせずに次の本番に向かうための脚づくり」としての意味もあるように思います。太く短くマラソン人生を終えたいのであれば「一発」にかけて長距離走による脚づくりをしなくとも何とか脚が持つかもしれません。しかし、長く競技人生を重ねる中でさまざまな経験を積んでから、世界と戦いたいと考えているのであれば長距離走による脚づくりは初マラソンであっても必須になってくると思います。

 若いうちからマラソンに取り組んで経験を積んだ方が良いと思いますので、マラソン挑戦を必要以上に怖がる必要はないと思います。しかし、初マラソン後に故障をしないためにも長距離走による走り込みは十分にしてから挑戦した方が、不十分な走り込みで挑むよりも未来に繋がるのではないかと思います。

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