過去に学ぶことは「時代遅れ」ではない 川内優輝が綴る「対世界」への本音(3)
「日本人には日本人の戦い方や練習方法がある」
海外の経験を積むと同時に、日本の名ランナーたちから学ぶことが多いと話す川内 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
昔と違って、世界中の国際レースが航空券代と宿泊代を負担してでも記録の良い日本人選手を招待したいと思っています。ですので、海外遠征に理解のある実業団に入るか、市民ランナーやプロランナーとして実力をつけた上で、AIMS(国際マラソン・ロードレース協会)加盟大会のHPなどを細目(さいもく)にチェックして、自分のレベルや目的に合った海外レースに積極的に出場し、武者修行をしていくことが大切だと思います。
そうして海外レースで経験を積み、知識を得ていきながら、自分が競技者として目指す「世界」は「日本代表」なのか「記録」なのか、それとも「世界中の国際マラソンで勝つこと」なのかをハッキリと意識して、その目標にあったトレーニングを積んでいくことが重要だと思います。
また、そうして海外で経験を積んでいくだけでなく、過去の日本のマラソンランナーから学ぶことも大切なことだと思います。最近、アフリカ勢のやり方や米国のやり方を過剰に信奉している選手が多いように思います。しかし、過去の日本人選手の記録さえも超えられない選手が、過去の日本人選手の練習方法を「時代遅れ」と言うことはできないと思います。もちろん、過去の日本人選手の練習方法のすべてが正しいとは思いませんが、少なくとも強くなるためのヒントはアフリカ勢の練習方法よりも数多くあるように思います。
数年前に君原健二選手の『マラソンの青春』を読んで選手としての心情に共感してから、過去の日本のマラソンランナーから学ぶことが多いと思い、いろいろな選手の本や伝記を読みました。瀬古さん、宗茂さん、宇佐美彰朗さん、貞永信義さん、円谷幸吉さんなどのほか、バルセロナ、アトランタ、シドニーの女子マラソンのノンフィクションなども読みました。それらを読む度に、参考になる事柄がいくつもありましたが、そうした中でも自分の練習には「超長距離走」が過去の選手たちと比べて、圧倒的に不足しているのではないかと強く思うようになっていきました。
アフリカ勢と同じようなことをやっていても、所詮はアフリカ勢の劣化版の練習をしているに過ぎないと思うようになっていきました。彼らがやらない「超長距離走」のようなトレーニングを積んでいかなければ、彼らと同じ質の練習ができない以上は戦うことはできないと思っています。このような考えには、ニューヨークでケニアの五輪メダリストのレース当日の朝食を見て、「こんなに少ない量で42.195キロを走れてしまうのか」と驚いたことがかなり影響しています。私自身はレース前日の夕食や当日の朝食をしっかり食べることで、マラソンを始めたころのようなレース後半の大幅な失速がなくなって粘れるようになってきたという感覚がありました。
しかし、そうした私の経験と真逆の食事をしていても走れてしまうケニアの超一流選手を見て、「彼らと日本人は違う。違うのであれば、日本人には日本人の戦い方や練習方法があるのではないか」とますます思うようになりました。ですので、海外のやり方を取り入れていくとしても、まずは過去の日本の偉大な選手たちがどのようなマラソントレーニングをしていたのか知った上で、プラスアルファの部分として海外から学んでいくことが大事なのではないかと思います。今の日本には両極端な人が多いですが、昔の日本も今の世界もどちらにもマラソン選手として強くなるためのヒントはあるように思います。
いつかは母校の“走れるコーチ”に
また、まだ走ったことのない市民マラソンにも積極的に参加して、日本全国の市民マラソンを盛り上げていきたいと思います。
具体的には東京五輪までに「フルマラソン100回完走」と「47都道府県の市民マラソンへの招待選手又はゲストランナーとしての参加」という2つの目標を達成することで、自分自身がマラソンを通じて得た経験や知識を日本中に還元していけたらと思っています。
そして、将来的には自分自身が監督やコーチにして頂いたように、母校の学習院大学で“走れるコーチ”として「マラソン選手」の指導をできたらと思っています。その時には他の選手の何倍ものマラソンを走ることで培うことができた国内外の人脈を駆使して、選手のさまざまな可能性を伸ばしていけたらと思っています。そして「陸上に青春を捧げてきて良かった。マラソンに挑戦して本当に良かった」と、自分自身の競技人生を笑顔で振り返ることができる選手を1人でも増やすことができたらいいなと思っています。
高校時代にケガで挫折したまま、陸上をやめてしまったら今の私はありませんでした。学習院大学で陸上を続けたことで新しい練習方法や考え方を知って、自分の可能性を切り開くことができました。だからこそ、当時の私と同じように強豪校で挫折した選手に「こんな世界があるんだよ」、「こんな練習方法があるんだよ」と教えることで、もう一度陸上を好きになるためのキッカケを与えたいと思うのです。