地域CL優勝と岡田メソッドからの解放 岡田武史オーナー兼CMOインタビュー後編

宇都宮徹壱

「スイッチが入る」ジョホールバルでの経験

決勝ラウンド2日目で昇格が決まり、メディアの取材に応じる岡田オーナー 【宇都宮徹壱】

――決勝ラウンド2日目終了時点で、今治はJFL昇格の条件となる2位以内を決定付けました。岡田さんご自身は「今回は勝負に徹した面もあるが、クラブが目指すサッカーの片鱗を見せることはできた」とコメントされていました。それは選手をメソッドから解き放つことができたということでしょうか。

 俺はもっと早い段階で解き放とうって言っていたんだけど、解き放っても選手はまた戻ってくるというのを繰り返していたんですよ。やっぱり人間って不思議なもので、「もういいや」って開き直りに近い状況にまで追い込まれた時、ふっきれた状態で解き放たれると思うんですよ。

――非常にせっぱつまった状態から最後に解き放たれる。状況としては岡田さんが指揮をされた、2010年ワールドカップ(W杯)直前の日本代表の状況に非常に近いものが感じられたのですが、いかがでしょうか?

 10年はそれほどでもない。むしろフランスW杯予選のジョホールバルの時だよね(1997年)。現地に向かう前は、パトカーが24時間ずっと自宅を回っているような状況で、これでもし負けたら日本に帰ってこられないと本当に思っていた。その時だよね。僕はよく「遺伝子にスイッチが入る」というのだけど、俺はここまでやったと。命がけで戦って負けたら、それは自分の力がないんだから謝ろうと。そう思った瞬間、完全に開き直って、何も怖いものがなくなったんだよね。あの瞬間、自分は変わったんだと思う。

――なるほど。この決勝ラウンドでの今治の「確変」は、実は19年前のジョホールバルでの岡田さんご自身の「自分は変わったんだ」という境地につながっていたわけですね。

 人間が追い込まれた時、そういう感覚になれるかどうかというのは、僕自身ものすごく大切なことだと思っている。子供たちの野外体験教育をやっているのも、実はそれが理由です。便利で快適で安全な社会でのほほんと暮らしていたら、スイッチが入るチャンスなんて絶対にないわけですよ。公園の遊具で子供がけがをしたから、公園で遊べなくなってしまう。そんな社会で、いつ遺伝子にスイッチを入れるのか? それは今治の選手たちについても同じで、どこかでそういうタイミングを作る必要があったんですよ。

――まさに「ここしかない」というタイミングで、スイッチが入りましたよね。ところで、地域CLが終わったら「監督の隣に座るのもこれで最後」とおっしゃっていました。ご自身の役割はこれで終わり、という心境でしょうか?

 もういいでしょ。これからは、のんびりと(試合を)見に行きたいよ(笑)。

J3を目指しながら地元の人たちとの交流も重視

地域CL優勝が決まり、サポーターと記念撮影する今治の選手とスタッフ 【宇都宮徹壱】

――大会の後、岡田さんのインタビュー記事をいくつか読ませていただきました。「去年、昇格に失敗したのは非常に悔しかったけれど、結果としてよかったかもしれない」とおっしゃっていました。その真意を教えてください。

 去年、すんなり上がっていたら「東京からよそ者が来て、ポッと上がって勝手に喜んでいる」という感じで地元の人たちに思われていたと思う。その意味では、ベストのタイミングだったのかもしれない。この1年でサポーターやスポンサーが増えたんだけど、去年の悔しさを知らない人も多くなったんですよ。でも「FC今治、頑張っているね」と言ってくれる方が増えたり、本当にスタジアムができることになったり、いろいろなものが転がりだした。その最後のピースが、今回のJFL昇格だったんですよね。

――昇格を決めた翌日、決勝ラウンド3日目の三菱水島戦にも3−0で勝利して、今治は見事に地域CL優勝を果たしました。あの時はサポーターだけでなく、スポンサーの方々もスタジアムに訪れて、皆さん喜んでいましたよね。

 あの試合、今治造船の社長や潮冷熱の社長が、わざわざ千葉まで観に来てくれたんですよ。めちゃくちゃ忙しい人たちなのに。その人たちも喜んでくれたことが、僕はうれしかった。正直に言うと、今大会は昇格が一番の目的だったので、3戦目のことはあまり重視していなかった。けが人も何人かいて、選手を入れ替えなければならなかったし。でも、三菱水島にも勝って優勝が決まったら、選手もサポーターも泣いているわけですよ。日本一になった経験がなかったから、こんなに皆が喜んでいるんだなと。だから、やっぱり勝ちにいかないといけない試合だったんだなと。この時は俺の方が教えられましたね。

――最後の質問です。いよいよJFLという全国リーグに戦いの舞台を移し、夏には待望だったスタジアムも完成します。それに合わせて、会社もさらに大きくなっていくことでしょう。しかしその一方で、私はまだまだFC今治は地域に密着しているとは言い難い状況であると感じています。猛烈な勢いでカテゴリーを駆け上がるのも大事ですが、クラブが地域にとって「かけがえのない存在」となっていくことも、それ以上に重要なことだと思います。その点について、岡田さんはどのように考えていらっしゃいますか?

 実は今治モデル事業部という部署があって、来年は人材配置も含めてここに力を入れようと思っています。まずはサッカーを通して、地元の人たちと打ち解ける機会を作ること。それからスポンサーに対するサービス。来年もスポンサーになってもらうために何をすべきかを考えろと。ひとつ例を挙げると、造船所で働いている2000人の外国人のためにフットサルの大会を開催すれば、ストレスの発散になって喜んでもらえるかもしれない。そうしたいろいろなアプローチをしていきたいと思っています。もちろん、今治市のイベントには、選手も含めてどんどん参加していくつもりです。

――そういえば今年のお祭りでは、岡田さんがリフティングを披露したそうですね(笑)。

 なんか盛り上がって、「岡田さんが僕らのところに降りてきてくれた」なんて言われたけれど、単に酔っ払っていただけなんだけどね(笑)。来年は一足飛びにJ3を目指しますが、その一方でそうした地元の人たちとの交流も重視していきたいと思います。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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