地域CL優勝と岡田メソッドからの解放 岡田武史オーナー兼CMOインタビュー後編

宇都宮徹壱

地域CLでの激闘を終えて笑顔を見せる岡田武史オーナー兼CMO 【宇都宮徹壱】

 FC今治の岡田武史オーナー兼CMO(チーフ・メソッド・オフィサー)に、今季の戦いを振り返えっていただくインタビュー。前編では、地域CL(全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)1次ラウンドを終えたところまでを語っていただいた。後編では、決勝ラウンドでいかにチームを立て直したのか、そしてそこに岡田オーナー兼CMOの関与がどれだけあったのか、探っていくことにしたい。

 1次ラウンド第3戦では、ヴィアティン三重に0−3で完敗。グループ2位ながらワイルドカードでの突破を決めた今治であったが、決勝ラウンドでも苦戦が予想された。ところが1次ラウンドから決勝ラウンドまでの11日間で、チームは驚くほど「戦える集団」に変貌していた。果たして、この「運命の11日間」に何があったのか? 引き続き、岡田オーナー兼CMOの言葉に耳を傾けることにしたい。(取材日:2016年12月2日)

マンツーマンマークを決断した吉武監督

決勝ラウンド初戦を前に笑顔で語り合う岡田CMOと吉武博文監督 【宇都宮徹壱】

――1次ラウンドの三重戦の敗因は、相手がしっかり今治対策を立ててきたこととは別に、今治の選手が球際で戦えていなかったのもあったと思います。試合後、吉武(博文)監督にそのことを申し上げたら「そんな短期間で強くなれるものではない」と言っていました。

 まあ、そうだよね(苦笑)。

――ところが千葉での決勝ラウンドでは、見違えるほど戦えるようになっていた。1次ラウンドから決勝ラウンドまでの11日間でいったい何があったのかというのが、今回のインタビューで明らかにしたいことだったんです。今治のスケジュールを確認すると、週明けの(11月)14日に午前練習をやって、15日と16日は休みにしていますよね。

 ウチはフィジカルコーチがいないんだけれど、どのタイミングでどれくらいの負荷をかければいいか、というのは僕の得意分野なんですよ。だから「ここは大丈夫」ということで、あのタイミングで2日休ませました。そこからガーっと上げて、トレーニングマッチをしてから次の日はミーティングのみにしたんだけれど、それは単純にグラウンドが取れなかったから(笑)。それからもう1回ピークを作って千葉に移動しました。千葉に入ってからは(ペースを)落として、雨と雪が降ったので室内トレーニングをしていました。

――その間、特に1対1の練習はしてないんですね?

 2対2とか、ボール際の練習は(負荷を)上げるときにかなりやりましたね。あとは全体での守備でのプレッシングを1回くらいやったかな。だからボール際の練習に関しては、2回ピークを作りましたよ。

――なるほど。そして決勝ラウンドの対戦相手ですが、対戦順に鈴鹿アンリミテッドFC、ヴィアティン三重、三菱水島FCとなりました。いずれも愛媛での全社(全国社会人サッカー選手権大会)に出場していたので、スカウティングはかなりできていたと思うのですが。

 そうですね。この3チームでは、一番力があるのが鈴鹿だと思っていて、28番(小澤司)から10番(北野純也)へのパスが肝だと。だから28番を「殺し」たら、相手は何もできなくなる。それで吉武に、そういう選手にマンツーマンマークを付けた話しをしたら、吉武は「マンツーでいきます」と。

――それで鈴鹿戦では、水谷(拓磨)が小澤にマンツーで付いたと。

 そうそう。「ダメだったらどうするか考えておけよ」とは言いましたけどね。ただ、俺も監督をやっていたから分かるけれど、監督は全責任を負って決断しなければならないからね。吉武は勇気あるなと思ったよ。俺はあいつの気持ちは全部分かる。俺が朝4時に起きたら、あいつの部屋はいつも電気が点いている。そういう男だからね。だからあいつの決断は「よし、それで行こう」って思いましたね。

吉武監督は「日本のグアルディオラになれる」?

「戦える組織」になった今治は三重に3−0のスコアでリベンジ達成 【宇都宮徹壱】

――結果として、岡田さんのサジェスチョンと吉武監督の決断もあり、鈴鹿には2−1で勝利しました。でも個人的に、この決勝ラウンドで最も印象深く感じられたのが、3−0でリベンジした三重との第2戦です。ワントップの藤牧祥吾には斉藤誠治を、1次ラウンドで2ゴールを挙げた岩崎晃也には小野田将人を、それぞれマンツーマンでマークに付けました。さらに、ドリブルが得意な長島滉大を左サイドでガンガン勝負させて、右サイドバックの22番(田中優毅)を退場に追い込みましたよね。こうした采配も、やはり吉武監督の判断によるものだったのでしょうか。

 そうだね。「(次も)マンマークでいきます」と言うから、「柳の下にもう一匹ドジョウいると思ったら間違いだぞ」と思ったんだけど(苦笑)。1人をマンマークで付ける場合、相手が中盤の選手に付けるのは簡単だけど、トップの13番(藤牧)につけると最終ラインに残ってしまう。だから「マンマークだけど、ラインを上げる時だけはマークを外して上げさせるんだぞ」ということだけは徹底するように言いましたね。

――その策が見事にハマったわけですが、もうひとつ素晴らしかったのが、選手が球際でしっかり戦えていたことでした。

 要するに意識の問題なんだよね。1次ラウンドの1戦目と2戦目では相手も弱かったというのもあるし、三重との3戦目もボール際で意識がなかったわけではない。ただ、試合の入り方がおかしかったので、ああいう失点を重ねてしまった。その意味で、決勝ラウンドでの入り方は素晴らしかったよね。やっぱりあの大会で重要なのは、戦術なんかではなくて、ボール際でどれだけ必死になれるかなんだよね。そういうところが大事なんだ。

――1次ラウンドと決勝ラウンドでは、今治はまったく別のチームになっているという印象でした。選手がしっかり戦えていたこともそうですが、吉武監督が相手の特徴によって柔軟に戦術を変えていたことにも驚きました。

 吉武は本当にすごいと思う。俺みたいなのが隣に座っていたら、普通はイライラすると思うんだよね。でもあいつは俺に「意見を言ってくれ」というわけ。もちろん、意見を受け入れないときもあるんだけど、「それだ!」と思ったらぱーんと実行する。得体の知れない、宇宙人みたいなすごさがあるよね。

――試合中も、選手交代の場面などで岡田さんがアドバイスされているように見えましたが、ご自身が前面に出ないような気遣いも感じられました。その点はいかがでしょうか?

 そこはね、「とにかく吉武が監督なんだ」と。あんまり俺が出すぎてしまうと、選手にとってもよくない。吉武から「練習を見てくれ」と言われても、守備とメンタルのこと以外は口出ししないようにしていました。ただ、吉武が「内容だけではなく勝つ監督になる」いうのが、あいつとの約束だったからね。それでも、あいつはなれるよ。日本の(ジョゼップ・)グアルディオラになるかもしれない(笑)。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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