安美錦が大けがを乗り越え関取残留 “希代の業師”が家族とつかみ取った白星

荒井太郎

大関を思わせるような拍手と歓声

9月場所2日目で里山をはりま投げで下し、初白星を挙げると、8勝7敗で勝ち越した 【写真は共同】

 その瞬間の館内のボルテージは、まるで人気大関の登場を思わせるほどだった。9月場所初日の十両土俵入り。125日ぶりに土俵復帰を果たした37歳11カ月の最年長関取・安美錦に浴びせられた大きな拍手と歓声は、ファンがこの日をどれだけ待ちわびていたかの表れであった。

「宇良といい勝負だったんじゃない(笑)? 出てくるだけで声援をもらうのは申し訳ない。辞める前の力士じゃないんだから、どんどん元気を出していかないと」

 前頭3枚目で迎えた今年5月場所2日目、つき膝で敗れた際に左足アキレス腱を断裂。何とか自力で立ち上がったものの歩行はままならず、呼出しの肩を借りて土俵に降りると車椅子で花道を引き揚げる事態となった。これまでも両膝のケガには何度も泣かされてきたが、そのたびに天才的なセンスと技、そして不屈の精神力で幾度の試練を乗り切ってきた。

 しかし、今度ばかりはこれまでの比ではないほどの力士生命最大のピンチに追い込まれてしまった。完全復帰までに最低でも1年はかかると言われている重傷。このまま休場を続ければ、関取の座を失うのは必至だ。引退を決意してもおかしくない状況だったが、負傷した翌日に手術を行うと、その日に自身のブログで「絶対に引退はしません。もう一度、土俵に帰ってきます」と現役続行を力強く宣言したのであった。

3年前にもあった引退の危機

 角界屈指の相撲巧者として、これまでもしばしば“上位キラー”ぶりを発揮。そして、業師らしく、取組後は取り口をときにはユーモアを交えながら、報道陣にも分かりやすく詳細に語ってくれたものだった。緻密で理詰めの相撲ぶりは、たとえ負けてもその意図は十分に見る者に伝わった。

「考えたとおりの相撲が取れるのは白鵬関と安美錦関だけでしょう」と語る関取もいた。横綱、大関戦の土俵に上がると、何かをやってくれそうな雰囲気を漂わせ、実際に何度も大きな仕事をやってのけた。

 そんな“仕事人”に3年前にも一度、引退危機が訪れた。古傷の左膝の状態が悪化し、リハビリに励むも肉体は悲鳴を上げていた。切れそうな気持ちを繋ぎ止めたのは、ジムや病院の送り迎え、栄養バランスを考慮した食事の世話など、献身的なサポートに徹していた現在の絵莉夫人の存在だった。
 
「独身のままだったら、もういいやと思っていただろうね」と安美錦は語る。試練を乗り越えた翌26年9月場所は4年ぶりの三賞となる技能賞を獲得した。

 このころを境にコメントでも夫人への感謝の言葉が頻繁に聞かれるなど、“稀代の業師”は新たに“家庭人”の顔をのぞかせるようになる。今回の土俵復帰ももちろん、絵莉夫人のサポートなしでは果たせなかったであろう。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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