ドローに終わった“低地国ダービー” 攻めるベルギー、耐えるオランダが鮮明に
“低地国ダービー”は1905年に始まった
アムステルダムで行われた親善試合の低地国ダービーは1−1の引き分けに終わった 【Getty Images】
ブリュッセルにあるベルギーサッカー協会には、85年のW杯メキシコ大会予選のプレーオフでジョルジュ・グルンがヘディングシュートを決めた瞬間の大きなパネル写真が展示されている。ロッテルダムで決めたこのゴールでベルギーは本大会に勝ち上がり、W杯でベスト4という伝説につなげたのだ。
親善試合ながら、5−5の引き分けに終わった99年の試合も、今後も語り継がれていくだろう。いずれにしても、多くの試合でベルギーよりオランダの方が“本命”の立場だった。この両国の関係がひっくり返るきっかけとなったのが前回のダービー、2012年8月、ベルギーがオランダに4−2で勝利した親善試合だった。
ベルギーのゴールゲッターはクリスティアン・ベンテケ、ドリース・メルテンス、ロメル・ルカク、ヤン・べルトンゲンというスターたち。2年後のW杯ブラジル大会でオランダは守備的戦術を採用して3位という好成績を残すも、ベルギーの方が強烈な“個”をそろえ、16年にはFIFA(国際サッカー連盟)ランキング1位にまで上り詰めた。一方、オランダは出場枠が24カ国に拡大された16年ユーロ(欧州選手権)の予選に敗れる失態を犯した。
代表チームの人気度、熱はベルギーに軍配
4年前、ブリュッセルにあるコーニング・バウデワインスタディオンが「オランダに一泡吹かせてやるぞ」という熱気に漂っていたのとは裏腹に、この日のアムステルダム・アレーナ(約5万3000人収容)は満員から程遠い3万8000人しか埋まらなかった。ひとつひとつのプレーに拍手が起こり、歓声で沸くのは、ベルギーサポーターの方だった。両国の代表チームの人気度、熱に差があるのは明らかだった。
ベルギーは小兵ドリース・メルテンスを“偽のセンターフォワード”に置く、実験的な布陣を敷き、エデン・アザール、ケビン・デ・ブライネと頻繁にポジションチェンジを繰り返す。ヤニック・フェレイラ・カラスコは左のウイングバックとしてサイドを支配し、オランダのMFジョルジニオ・ワイナルドゥムは最終ラインに吸収されがちになった。試合中に4−3−3と4−4−2を使い分けるオランダは、後半からMFデイビー・クラーセンをベンチに下げ、右サイドバックにジョシュア・ブルネットを入れる5バックシステムを採用。両国の現在の力関係を表すかのように「ベルギーの攻撃に、オランダが合わせる」というシステム変更が行われた。
試合は38分、イェレマイン・レンスの獲得したPKをクラーセンが決めて、オランダが先制する。ベルギーのロベルト・マルティネス監督は64分にメルテンスを下げて、ストライカーのルカクを投入した。そのルカクは78分にゴールの手前でフリーになってクロスを合わせたが、シュートを外してしまった。82分にはカラスコのシュートが相手DFのお尻に当たってGKの頭上を越してゴールイン。その後はアザールがGKと1対1になるシーンもあったが、オランダの守護神マールテン・ステーケレンブルフにセーブされ、1−1のまま引き分けた。これで低地国ダービーの戦績はオランダの55勝30分け41敗となった。
このダービーは“攻めるベルギー”“耐えるオランダ”と、両国のチームカラーが180度変わったことが鮮明になった試合だった。旧知のオランダ人指導者ロバート・マースカントと久々に会ったが、「引き分けだったけれど、ベルギーの方が明らかにクオリティーが上だったね」と寂しそうに笑ったのが印象的だった。