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引退の星奈津美、悔しさを力にした20年
受け継がれていく女子バタフライの歴史
2008年日本選手権、北京五輪出場を決めた当時17歳の星(左)と先輩の中西悠子
2008年日本選手権、北京五輪出場を決めた当時17歳の星(左)と先輩の中西悠子【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 10月4日。北京、ロンドン、リオデジャネイロの五輪3大会に連続で出場し、200メートルバタフライでロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪の2大会連続銅メダルを獲得した、星奈津美(ミズノ)が、引退を表明した。


「リオデジャネイロ五輪のレースを終えて、後悔は全くありませんでした。五輪が終わってから、自分のレースを見返すことは何度もあったんですが、銅メダルですから、今までだと悔しいなとか、そういう気持ちがふつふつと湧いてきていたと思うんですが、今回はそういう気持ちも全くありません。精いっぱい出し切れて、自分自身、満足していたからだと思います」


 時折目を伏せて、リオデジャネイロ五輪の舞台を思い返すような仕草を交えながら、ゆっくりと話す星の目には、迷いも後悔もない。本当にスッキリとした、星らしい柔らかな笑顔を見せていた。

全国大会「2年連続4位」からのスタート

 今年26歳となった星を支え続けたのは、『悔しさ』というモチベーションだった。その始まりは、初めて全国大会に出場した中学時代。2、3年生のとき、全国中学で2年連続4位に終わった『悔しさ』が、星のスタート地点だった。


 度々、星は結果を残す直前に『悔しさ』を味わっている。最初の悔しさとなった全国中学の翌年、高校1年生になった星は、インターハイの200メートルバタフライで優勝。


 初めての五輪となった2008年の北京五輪前には、悔しさとは異なるものの、バセドー病の発覚という人生を揺るがすほどの挫折を味わっている。泳ぎたい、試合に出たいという気持ちが星を突き動かし、バセドー病発覚の約半年後に行われた、高校2年生でのインターハイで再び優勝を飾った。


 勢いそのままに出場を果たした北京五輪本番では、準決勝で敗退。当時、200メートルバタフライの第一人者だった中西悠子が決勝の舞台で泳ぐ姿を見て、『私もあそこで泳ぎたかった』と悔しさが星の心に飛来した。


 決意新たにロンドン五輪に向かう星だったが、その前年の上海世界水泳選手権では、3位と100分の1秒差の4位に終わり、悔し涙を流す。その悔しさが、ロンドン五輪での200メートルバタフライでの銅メダル獲得につながった。

世界選手権で優勝 味わったことがない戸惑い

世界選手権優勝、五輪2大会連続のメダル獲得。『悔しさ』をモチベーションに輝かしい結果を残した
世界選手権優勝、五輪2大会連続のメダル獲得。『悔しさ』をモチベーションに輝かしい結果を残した【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 しかし、それでも星は『悔しかった』。ロンドン五輪で3位に“終わった”悔しさだった。それをモチベーションにして突き進む星だったが、2014年、最大にして最悪の事態が星を襲う。バセドー病が悪化し、ホルモンバランスを薬で調整しきれなくなってしまったのだ。


“引退”の二文字が頭をよぎる。それほどの事態だった。それでも星は、勝負の世界に帰ってくる。同年11月に甲状腺の全摘出手術を行い、5カ月後の2015年4月の日本選手権で、100メートル、200メートルバタフライの2種目で優勝。見事、カザン世界水泳選手権の代表権を獲得する。


 そしてカザン世界水泳選手権本番で、上海、バルセロナの2大会連続で4位とメダルを逃していた星は、ついに200メートルバタフライで世界の頂点に立ち、『悔しさ』を晴らした。


 その世界の頂点に立ったことが、今度はさらに星を苦しめた。『悔しさ』をモチベーションにしてきた星が、悔しさを持てなくなったのである。今まで味わったことがない気持ちの『挫折』に、星は戸惑った。

田坂友暁

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かした幅広いテーマで水泳を中心に取材・執筆を行っている。

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