引退の星奈津美、悔しさを力にした20年 受け継がれていく女子バタフライの歴史
暗闇の中で……母の言葉、平井コーチの支え
母、平井コーチ(右)ら、とりまく多くの人々が星を支えた 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
バセドー病になったときも、手術をしなければならなくなったときも、いつでも星が大好きだと言ってやまない水泳を続けるための方法を、冷静に一緒に考えてくれた母、真奈美さん。その真奈美さんからは、「北島康介さんや中村礼子さんを指導してきた平井先生を信じてついていくしかないんじゃない?」と言われた。
平井コーチは、今年6月のヨーロッパ遠征時に星がぶつける苦しみと本音を受け止めたうえで、2人きりでじっくりと本音で話し合った。少しずつ、少しずつ星の苦しみを聞き出し、その解決法を提案していく。そうした話し合いのなかで、出口も分からない、出方も分からない真っ暗なトンネルの中でさまよっていた星は、抜け出すための一筋の光を見つけ出した。この2人だけではない、多くの人生の大先輩たちの支えがあって、悔しさを晴らすことがモチベーションだったメンタルを『自分の20年間のすべてを出し切る』ことに切り替えられ、星は自分の輝きを取り戻した。
そしてリオデジャネイロ五輪本番、星は見事に自分のすべてを『出し切る』ことができ、完全燃焼を果たしたのである。
「後から言われたんですけど、決勝レース後、タイムや順位を確認する前に、もう笑っていたらしいんです。自分でも、終わったんだなってホッとしたというのがあって、それくらい、いろいろ考えながらも出し切ったレースだったんだと思います」
星が飛躍する前には、必ず『悔しさ』と『挫折』があった。悔しい気持ちが、次は負けない、次はメダルを、という想いを強くさせ、その度に星は強くなった。『挫折』を味わう度に、星は周囲の人間に支え、助けられて前に進むことができた。悔しさはモチベーションになり、挫折は感謝する心を育て、それが人間的な強さとなり、星は成長を繰り返してきたのである。
「私は本当に水泳が大好き」
リオ五輪では2大会連続となる銅メダルを獲得。表彰台の上で、柔らかな笑顔がひときわ輝いた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
競泳があったから夢を持てて、その夢に向かって頑張ったから、本当にいろんなことを経験させてもらえました。競泳は、自分自身そのまま、と言ってしまうと、引退すると自分がなくなっちゃうかもしれませんけど(笑)。でも、やっぱり自分自身そのものですね。本当に幸せな競技人生だったなと、すべてを含めて思います」
星は、2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得した中西という存在を追い続けていた。その中西と一緒に出場した北京五輪から2年後、2010年に中西が引退したときに「あとは任せたよ」という言葉を受ける。そこから星は責任感を芽生えさせ、押しも押されもせぬ日本を代表する選手へと成長した。
アスリートとして素晴らしい成績を残しただけではなく、星は周囲の人を笑顔にする柔らかな雰囲気を持ち、誰からも愛され、誰もが応援したいと思わせる存在である。そんな星の引退は、寂しい限りだ。しかし、星は今、尊敬する先輩である中西から受け継いだときと同じように、女子200メートルバタフライの歴史をつなごうとしている。2012年のロンドン五輪でメダルを獲得した星という存在を追いかけて、リオデジャネイロ五輪の代表入りを果たした16歳の長谷川涼香(東京ドーム)に。
中西と星、星と長谷川。中西が星にそうしたように、星も長谷川にそうしていく。つながり、紡がれていく歴史は、こうして引き継いでいく。『あとは任せたよ』と。