金藤理絵を変えた世界選手権での惨敗 諦めずに手にした“金”は努力の結晶
縁がなかった世界大会でのメダル
世界大会でメダルに縁がなかった金藤(中央)。リオ五輪でついに金メダルを手にした 【写真:ロイター/アフロ】
「うれしいという気持ちと、ここまで待たせてすみませんという気持ちです。今までもメダルを取れる実力というか、チャンスは何度もあった中で取れていなかったので、お待たせしましたという気持ちもあります」
レース後、金藤はそう声を弾ませた。優勝が決まった瞬間に「よく分からない」と言っていたのは、多くの感情が入り混じり、自分の中でも整理ができなくなっていたからだろう。
これまで2008年の北京五輪と、4度の世界選手権に出場。しかし、メダルには縁がなかった。期待されながら6位に沈んだ昨年の世界選手権直後には、競技を続けるべきか迷いが生じた。
「やっぱり怖いです。4回も世界選手権に出たのに、そのすべてでメダルに届かなかった。でも、ハンガリーの(ラースロー・)シェー選手は(昨年の世界選手権で)10年越しの金メダルなんですよね。そういうのを見たら、まだまだ自分は甘いのかなという気もします。いずれにせよもう少し気持ちにきちんと整理をつけてから考えようと思います。行くなら次のステージに行かないと、また同じ失敗をする気がするので……」
日本人初の2分19秒台をマーク
覚悟を決めた金藤は加藤コーチ(右)指導のもと、トレーニングに打ち込んだ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
「何もかもうまくいかなかった。世界選手権も4回出たのに良い結果を残せなかったし、五輪もロンドンを一番狙っていたのに、出ることさえできなかった。(世界選手権が行われた)カザンで自分のことを情けないと思ったのが、変わった一番の要因だと思います。僕から逃げなくなった。最後の覚悟だったと思います」
元来、細やかな性格で加藤コーチいわく「闘争心も自信もない」。200メートル平泳ぎの日本記録を持っているにもかかわらず、同種目のライバルである渡部香生子(JSS立石)や鈴木聡美(ミキハウス)に勝てないと思い込んでいたという。それでも加藤コーチが「絶対に世界一になれる」と言い続け、競技から離れたがる金藤の気持ちを鼓舞し続けた。
世界選手権後からは、再び世界の頂点を目指しトレーニングに取り組んだ。加藤コーチは金藤の高校時代の泳ぎをあらためて分析し、伸びのある泳ぎからピッチ泳法に改造するなど、試行錯誤を続けた。
そうした成果が今年になって現れる。2月の3カ国対抗戦で2分20秒04と、自身が持っていた日本記録を更新し、一躍五輪の金メダル候補にのし上がると、4月の日本選手権では2分19秒65と日本人初の2分19秒台の記録で優勝。日本代表の平井伯昌監督も、「憑き物が落ちたみたいに平然と泳いで記録を出している。こういうときは取るものなんですよ」と、金藤の金メダル獲得に太鼓判を押した。
コーチも驚いた変貌ぶり
挫折を繰り返しながらも、金藤は諦めず努力を続けた 【写真:ロイター/アフロ】
「お前は世界一持久力があるから、最初の50メートルさえ出遅れなければ、絶好調でなくとも絶対に負けない。あとはそれをお前が信じろ」
50メートルの折り返しは32秒74で5位。その後は徐々にスピードを上げ、150メートルでは1位に上がった。終わってみれば2位のユリア・エフィモワ(ロシア)に1秒以上の差をつける完勝だった。
「ラスト50メートルは、このためにいろいろときつい練習をやってきたんだと思って泳ぎました。絶対に出し切って最後タッチするんだと。もし昨年の世界選手権でへたにメダルを取っていたら、今の自分は絶対になかったと言えます。本当にあのときの結果でスイッチが入りましたし、変わらなければいけないと思いました」
加藤コーチは目を赤くして、教え子の快挙を喜んだ。
「人ってこんなにも変われるんだなと。あいつはスーパースターじゃないし、器用でもない。でも努力をすることで五輪の金を取れるということをあいつが証明してくれた。それがすごいなと思いましたね」
挫折を繰り返しながら、それでも諦めずに頂点を目指してきた。五輪の金メダル獲得という栄光への道は、まさに努力の結晶によって築かれたものだった。
(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)
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