ブラジルの“新救世主”G・ジェズス 自国大会で悲願の五輪初優勝なるか

大野美夏

最も注目されるパルメイラスの19歳

先日の日本戦にも出場したガブリエウ・ジェズス(左)。ブラジルでは“ネクスト・ネイマール”と期待されている 【Getty Images】

 今、ブラジルで“ネクスト・ネイマール”と呼ばれる期待の若手プレーヤーがいる。1日現在、ブラジルリーグでトップを走っているクラブ、サンパウロ市にあるパルメイラスで中心選手としてプレーする19歳のガブリエウ・ジェズスだ。

 身長175センチ、体重67キロの細身の体の一番の武器はそのスピード。左右の足を自在に操り、スピードと切れのあるドリブルで数人のDFを抜き去り、そのままフィニッシュに持ち込めるシュート力を持つ。さらに、ボールを足に吸い付かせているかのようなボールコントロール力、視野の広さ、ポジショニングの良さ、そしてゴール前の混戦を個の力で突破できる高い決定力。見る者をワクワクさせるエンターテイナーだ。

 そのテクニックを駆使したハイレベルなプレーにパルメイラスサポーターのみならず、ブラジル中のサッカーファンがガブリエウにくぎ付けだ。8月に開幕するリオデジャネイロ五輪では、最年少でセレソン(ブラジル代表)のメンバー入りを果たした。

 パルメイラスのレギュラーに弱冠18歳でなったことが、いかにすごいか分かるだろうか。ブラジルサッカーは1世紀以上の歴史を誇るが、パルメイラスはフラメンゴ、サントス、コリンチャンス、サンパウロなどと肩を並べる名門中の名門。あまり知られていないが、実はFIFA(国際サッカー連盟)が認めた初代世界クラブチャンピオンこそが、パルメイラスなのだ(1951年に世界を代表する8クラブがブラジルで戦い、パルメイラスが優勝した)。

 今では、「ソシオ・トルセドール」と呼ばれるチームを応援する有料会員制サポーター数(クラブの会員とは異なる。クラブは総合スポーツ社交クラブであり、サッカーはあくまでも一分野)が12万人を超え、世界7位に浮上している。そんなビッグクラブのスター選手になるということは、同時に大きなプレッシャーと責任を背負うことを意味するのだが、ガブリエウは極めてクールに受け止めている。一番大きな味方である家族が過大な期待をせず、暖かく見守り支えてくれるからだ。

 リオ五輪に向けても過度なプレッシャーとは無縁のようで、ガブリエウは「プレッシャーは普通のこと。パルメイラスのようなビッグクラブでプレーしているんだから、常にプレッシャーだよ。もちろんブラジル代表でプレーするのも大きなプレッシャーだけど、それを心配するよりも試合に集中したい。良い試合ができるよう、それだけを気にしたいんだ。というより、僕はプレッシャーがある方がかえって力が出るタイプなんだ。

 ブラジル代表は五輪に向けてきちんと準備ができている。大きな挑戦ということも分かっているけれど、集中力を高め、神様を信じて、チーム一丸となって立ち向かえばきっとその先に金メダルがあると思う」と語る。

「テクニックがずば抜けていることに目を見張った」

パルメイラス加入時からずば抜けたテクニックを持っていたガブリエウ 【写真:アフロ】

 ガブリエウはサンパウロ市北部の質素な地区の出身で、母親のベラと姉兄2人と暮らしていた。ベラはガブリエウを妊娠していた時に夫が家を出ていってから、シングルマザーでお手伝いさんをしながら子供たちを育てた。3人の息子たちは全員アマチームでサッカーをしていたのだが、ベラは「サッカーのせいで教育をおろそかにするようなことだけはしてはいけないと厳しく育てた。黒人で貧しい私たちには教育こそが必要だと子供たちに言い聞かせた」と言う。

 ガブリエウも週末になると朝早く家を出てバスに乗り、さらに徒歩40分かけてペケネニーノス・ド・メイオ・アンビエンチというチームの練習場まで通った。もちろん、チームの練習日以外も、所構わずボールを蹴って、ベラは「壁を汚さないで!」と叫んでいたという。ガブリエウがプレーしていたペケネニーノスはプロチームとは全く関係のないボランティア団体で、監督をはじめスタッフの熱意で、子供たちに活動の場を与えようと運営されている。

 当時指導していたマメーデ監督は「前に前にいくドリブルをする子だった。得点感覚に優れたロマーリオのようなアタッカーだった」と振り返る。ビッグクラブの下部組織とは異なり、ペケネニーノスは土のグラウンドで、子供たちは監督から借りた中古のスパイクを履いてボールを蹴る。監督は「芝生の上よりも、土のグラウンドの方がボールコントロールが難しいからこそ、ボール扱いが格段にうまくなる」と子供たちに言っている。

 そして、ガブリエウは今から3年前、16歳の時に初めてプロチームがあるビッグクラブの門をたたいた。小さい頃から大好きだったパルメイラスの入団テストに受かったのだ。ガブリエウの才能に引きつけられたのは、当時パルメイラス育成部でU−17の監督をしていたブルーノ・ペトリだった。ペトリ監督はこれまでにカカ、カジミーロ(レアル・マドリー)、ルーカス・モウラ(パリ・サンジェルマン)、オスカール(チェルシー)、アデミウソン(ガンバ大阪)らを育てているブラジル有数の育成のスペシャリストだ。特別な審美眼を持つ。

「ガブリエウはパルメイラスに入る前、一度もビッグクラブの下部組織に入ったことがない素朴な選手だったが、テクニックがずば抜けていることに目を見張った。落ち着いていて考え方が非常にしっかりした青年で、とにかく真面目で練習で120%の力を出す選手だった。たとえば、シュート練習を40本するように言うと、50本打つような熱心さだ。

 17歳でトップチームに上がった時、テクニックはプロ級ではあったものの、育成部で習得すべきすべての戦術パターンをマスターしていなかった。そのため、トップチームの監督には、彼はあくまでも未完成の育成途中の選手であることを伝えた。だからこそ、この先もっと成長するという大きな期待が持てる。まだまだ伸びしろがある。ガブリエウの可能性は未知数なんだ」(ペトリ監督)

 ガウリエウはパルメイラスに来てからテクニックをさらに磨き、現在のスタイルに至った。
「ペトリ監督は僕の苦手な左足を右足と同じように使えるようになるべきだと強く言ってくれ、シュートの正確性を高めるよう指導してくれた」(ガウリエウ)

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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