ブラジルの“新救世主”G・ジェズス 自国大会で悲願の五輪初優勝なるか

大野美夏

17歳でトップチームデビューを飾る

ガブリエウ(右)は17歳でトップチームデビューを飾り、現在ではパルメイラスになくてはならない選手に成長した 【写真:アフロ】

 パルメイラスは13年、全国リーグ2部降格という厳しい状況に陥った。何とか1年で1部に返り咲いたものの、14年に再び2部降格の危機に瀕する。当時、U−17チームで22試合37ゴールという脅威の決定力を持つ選手がいると話題に上がった。それが、ガブリエウだった。

 リーグ終盤に差し掛かったころ、ガブリエウはトップチームに急きょ呼ばれたのだが、クラブの“金の卵”を焦って起用してつぶしてしまうことを心配したリカルド・ガレカ監督は結局、彼を試合で使わなかった。サポーターは署名運動までしてガブリエウの起用を求めたのだが……。

 U−17のペトリ監督は、ずっとトップチームのリザーブでやってきて遅咲きだったが、それが良かったとガブリエウをカカーになぞらえる。

「ガブリエウを大事に育てた方がいい。技術も人間性も追いつかない低年齢のうちに大舞台に出して、多大なプレッシャーと期待でつぶれてしまう選手もたくさんいる。せっかくの才能の芽を摘んではいけない。使い捨てになるようなことをしてはいけないのだ」

 15年1月、新人登竜門と言われるコッパ・サンパウロ・デ・ジュニオーレスで活躍した後の3月、ついにガブリエウはトップチームに正式に引き上げられ、デビューを飾る。17歳だった。

 ガブリエウはその後、U−20ブラジル代表に選ばれ、U−20W杯で準優勝を果たす。さらに18歳ながらU−23代表にも選ばれるようになった。パルメイラスでは15年からトップチームに定着し、コッパ・ド・ブラジル(ブラジルカップ)優勝に大きく貢献。今年に入ると、ガブリエウはパルメイラスにとってなくてはならない選手になった。

コパ・アメリカでA代表デビューはならなかったが……

 6月に米国で行われたコパ・アメリカ・センテナーリオ(100周年記念大会)に向け、ブラジル代表に次々とけが人が出た時、国民の期待はガブリエウのA代表初招集にあった。当時、五輪代表も兼任していたドゥンガ監督は五輪を見据えて、きっとガブリエウを呼ぶだろうと誰もが思った。

 ドゥンガ監督はガブリエウに打診したのだが、問題は米国入国ビザがないことだった。ガブリエウはコパ・アメリカのプレ招集を受けており、ドゥンガとしては当然ビザを取得済みだと思い込んでいたのだが、CBF(ブラジルサッカー連盟)が手配したわけではなく放置されていた。もちろん、ビザは急きょ取ればいいだけのことだったのだが(実際にすぐに取得した)、ドゥンガは準備ができていない選手はいらないと別の選手を招集。ガブリエウのA代表初招集はお預けとなってしまった。

 しかし、結果的には良かったのかもしれない。ブラジル代表はグループステージで敗退し、いいとこなし。米国に行かなかったガブリエウはパルメイラスでリズムを崩すことなく好調をキープし、ブラジルリーグでトップを走る快進撃の主役となっている。

 母親のベラは「彼はまだ18歳。U−20世代です。A代表なんて早すぎます。人にはそれぞれ時期というものがあります。急ぐよりも、ちょっとゆっくりくらいがいいんです。早くA代表に上がることよりも、A代表になれた時に少しでもそれを維持することが大事なんですから。私たち家族はプレッシャーをかけません」と見守っている。

ガブリエウが国民に歓喜をもたらすか

ガブリエウ・ジェズスは、カナリア軍団の救世主となるか 【写真:ロイター/アフロ】

「自国開催の五輪に代表として出場できるなんて、本当に光栄だと思っている。五輪は強豪が集結するタフな大会だけれど、ブラジルは優勝候補の一国であり、初の金メダルがきっと取れると信じている」と屈託なく話すガブリエウは、W杯ブラジル大会準決勝での1−7の大敗でセレソンへの興味を失った国民に、再び喜びをもたらしてくれるかもしれない。

 1996年のアトランタ大会で同じくチームの最年少として出場したロナウドは「自国開催の五輪ということでプレッシャーはさらに大きいけれど、自分が楽しむことを忘れないで欲しい」とメッセージを伝えている。

 リオのコルコバードの丘にはかの有名なキリスト像が両手を広げて人々を見守っている。そして、五輪代表にもキリストがいる。ジェズスとはポルトガル語でイエス・キリストを意味するのだ。パルメイラスの救世主になったガブリエウが、今度はカナリア軍団の救世主になるか。緑と黄色のユニホームを着て、大好きなボールを蹴って走り回るガブリエウに注目が集まる。

「セレソンは国民の代表であり、何千という選手の中から選ばれた名誉であるし、大きな挑戦でもある。今回はホスト国ということで、プレッシャーは計り知れないほど大きいことは分かっている。でも、僕にとっては同時にセレソンの歴史に名を刻む絶好の機会でもある。かえって、モチベーションが高まるね」(ガブリエウ)

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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