「北島節」受け継ぐ小関也朱篤の決意 平泳ぎのエースとして求められる結果

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歯がゆさが残った代表選考会

五輪出場は決めたものの、小関にとって4月の日本選手権は、かつてない苦しみを味わう大会となった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 平泳ぎのエースである小関也朱篤(ミキハウス)にとって、リオデジャネイロ五輪の代表選考会を兼ねた今年4月の日本選手権は、かつてない苦しみを味わう大会となった。世間の期待は北島康介の出場権獲得。2004年のアテネ、08年の北京と2大会連続で五輪2冠を達成した33歳の復活を望む声は日増しに高まっていた。会場内は異様な雰囲気に包まれ、他の選手が勝つことは悪とされかねない空気すら漂ったほどだ。

「会場が北島選手一色となるのは分かっていたことなんですけど、あそこまでだとちょっと縮こまってしまう部分がありましたね」

 レース後、小関はそう振り返った。100メートルは大会3連覇を飾ったが、派遣標準記録を下回り出場権を獲得できず(編注:その後、エントリーが決定)。本命の200メートルも「世界記録(2分7秒01)の更新」を狙いながら、2分8秒14と不本意なタイムに終わった。派遣標準記録をクリアしての優勝で、五輪出場を決めたことについては満足感を示したものの、歯がゆさの残る大会にもなった。

「選考会はやはり特別な雰囲気でした。周りも北島選手、北島選手という状況だったので、プレッシャーもありました。でも僕も1人の選手として五輪の舞台は諦めきれなかったので、負けるわけにはいかないという感じでした」

 リオへの扉が閉ざされた北島は、大会最終日に現役引退を発表した。日本競泳界の歴史に金字塔を打ち立てた男を実力で上回って五輪出場を決めた小関は、名実共に平泳ぎをけん引する立場となったのだ。

「僕には北島さんの名が付いて回る」

リオ五輪出場を逃し現役引退を発表した北島(右)。発表の直後には小関(左)に励ましの言葉をかけた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

「憧れの存在だった」という北島の引退には、小関もショックを受けた。アテネ、北京五輪と北島が金メダルを手にした姿は今も脳裏に刻まれている。リオ行きの可能性が消滅したあとのメディア対応で涙を流している姿を見て、小関自身も泣きそうになったという。超えなければいけない存在とは認識しつつも、本音では共に五輪を戦いたかったようだ。

「正直、北島さんと一緒に行きたかったというのはあります。でもそれを大会中に言ってしまうと気持ちがぐらつきそうでした。北島さんの足元で僕も行ったみたいなことになってしまうと嫌だったので、言わなかったんです」

 平泳ぎのエースとして五輪に出場するからには、否応なく北島と比較される。世間も「北島の後継者」として、小関を見ることになるだろう。そのプレッシャーは重くのしかかるはずだ。しかし、小関は覚悟を決めている。

「たぶん永遠に僕には北島さんの名が付いて回ってしまうと思いますが、それでも構いません。ずっと背中を追いかけてきた立場なので、僕としては北島さん一人に認めてもらえれば満足です」

 200メートルのレース後に、北島から声をかけられた。「思い切り頑張ってこいよ」というその一言にうれしさを感じたと同時に、責任の重さも痛感した。日本のお家芸とされる平泳ぎで出場するからには、当然メダル獲得が求められる。他国の選手だけではなく、そうした国民からの期待とも戦わなければならない。

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