川崎が示したサッカーを通じてできること 復興支援と『高田スマイルフェス2016』

宇都宮徹壱

フロンパークが陸前高田にやってきた

「復興の象徴」上長部グラウンドで開催されたJクラブ同士の対戦。結果は1−1のドロー 【宇都宮徹壱】

 7月2日、J1セカンドステージが開幕した。惜しくもファーストステージ優勝を逃した川崎フロンターレは、アウェーでベガルタ仙台と対戦。3−0と快勝して、年間順位で再び首位に立った。その翌日、彼らは地元の川崎には戻らず、さらに北を目指した。目的地は岩手県の陸前高田市。3日、陸前高田にある上長部グラウンドでは『高田スマイルフェス2016』という震災復興イベントがあり、川崎に所属する選手全員(けがで帯同しなかった5名、そしてリオデジャネイロ五輪に選ばれた原川力と大島僚太を除く)がイベント開場に駆けつけた。

 上長部グラウンドは、米国映画『フィールド・オブ・ドリームス』のストーリーを地で行くような形で誕生した。映画のほうは、トウモロコシ畑を切り開いて野球場が作られたが、ここはもともと一面が田んぼだった。しかし、5年前の東日本大震災による津波で根こそぎ流され、更地となったところにJFA(日本サッカー協会)の支援によって4万株の芝が植えられたのである。発起人となったのは、当時JFA復興特任コーチだった加藤久さん(現・ジュビロ磐田GM)。ピッチの整備には、京都在住の芝生アドバイザーで「芝の神様」の異名を持つ松本栄一さんから全面的な協力を受けることとなった。このグラウンドは文字通り、日本サッカー界にとって「復興の象徴」といってよい場所である。

 もちろん、更地に芝を植えればピッチができるという単純な話ではない。土地はデコボコしている上に、あちこちに雑草が生えていた。実は昨年の9月に取材でこの地を訪れた際、私は川崎のスタッフや地元のボランティアと一緒に草むしりをした。その時に強く感じたのは、何もないところから芝生のグラウンドを作ることのハードルの高さであった。しかし川崎のスタッフは、ここでJクラブ同士によるゲームを開催するという高い目標を掲げて、地元ボランティアと一緒になって夢の実現に邁進(まいしん)してきたのである。

 それから10カ月後、久々に上長部を訪れてみると、見事なピッチに生まれ変わっていて大いに驚いた。よくよく観察してみると、ところどころ芝が剥げているものの、雑草はほとんど見当たらない。少なくともJFLの試合を開催するくらいなら、十分に要件をクリアしていると言えよう。そしてもうひとつ驚かされたのが、フロンターレのロゴが入ったテントが多数設置されていることだ。川崎のホームゲームでは、イベントやアトラクションやグルメが楽しめる『川崎フロンパーク』が人気を集めているが、それが400キロ離れた陸前高田にそのまま再現されているさまは、まさに絶景であった。

『算数ドリル』からスタートした川崎と陸前高田の関係

イベント当日朝の集合写真。朝7時の段階で、これだけのスタッフが会場に集まった 【宇都宮徹壱】

 それにしても川崎はなぜ、陸前高田への支援活動を5年にわたって続けてきたのだろうか? 以前のコラムでも触れたことだが、重要なポイントなのであらためて言及する。川崎が今も継続している震災復興支援活動『Mind−1(マインド・ワン)ニッポンプロジェクト』。プロジェクトの中心的な役割を果たしている、プロモーション部部長の天野春果さんは、支援のきっかけが『算数ドリル』であったことを明かしている。

「陸前高田の小学校の先生から『津波で教材が流されたので、算数ドリルを送ってほしい』という連絡があったということを、川崎市内で教員をされている方を通じて知ったんです。それで、算数ドリル700冊に選手のサインを入れて現地まで持って行きました。震災からまだ1カ月、交通インフラが寸断されていたので、車で10時間以上かかりましたね」

 ここから川崎と陸前高田、両者の交流がスタートする。川崎の選手たちが陸前高田で年1回のサッカー教室を開催する一方、陸前高田の子どもたちを等々力競技場のホームゲームに招くなどして、両者の行き来はその後も続いた。そして昨年9月11日には、クラブと市との間で『高田フロンターレスマイルシップ』という友好協定を締結。これまで続けてきた選手によるサッカー教室や『かわさき修学旅行』に加えて、クラブロゴやエンブレムなどの使用許諾、川崎のホームゲームでの陸前高田の観光・物産PRイベントの開催など、両者の関係性はより密接で強固なものとなっていった。

『算数ドリル』からスタートした、川崎の『Mind−1ニッポンプロジェクト』。しかし、一方通行の支援であれば、支援する側・される側の関係性が5年も続くことはなかっただろう。もともと両者は、震災が発生するまでは縁もゆかりもなかった間柄である。川崎を本拠地とするプロサッカークラブが、遠く離れた被災地の支援活動を続けたところで、経営的なメリットが発生するとは到底思えないし、そもそも彼らは慈善団体でもない。むしろ、サッカーを通しての交流であったからこそ、両者の関係性はその後も絶えることなく続いたと考えるのが自然だろう。そして震災から5年の集大成となったのが、この『高田スマイルフェス2016』だったのである。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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