GAMI、奈七永、つっかの鼎談が実現!? 2016年上半期を振り返る
里村からのコメントに高橋がイラッ!
里村と対峙する奈七永と世志琥 【横田修平】
この言葉に特に反応したのが高橋で「充実感があって何が悪いの? のんきなことを言って(試合をする理由の)腹の中が分かってない」とイラッする。「なんで今回やるかというのは、20年やってきた中で、里村明衣子、高橋奈七永が“両横綱”だと言われた時期もあって、私の中でそんなものはどうでもいいけど、でもお客さんの中には里村選手の発言(※)があっているという人もいたし、ここで向かい合わなきゃいけないのかなと思っていました」と、今回の対戦を希望した意図を話す。
※世志琥がシードリングで復帰する際、里村が「人として筋違いのことをやった」と非難。世志琥の復帰に関して賛否両論の意見のひとつになっていた
ただ、「先日の会見(6月3日に行われ、里村&チサコが出席)で発表した時、『20周年の最高の相手として選ばれた』と自分で言っていたのですが、私はまったくそういう風には思っていない。けじめというか区切りというか。それをお客様に見ていただいた時に、戦い自体を楽しんでいただけるのではないかと思って。いろいろな思惑がありますが、その辺も想像して楽しむのがプロレスなので。私の中では、いろいろな思いがありすぎて言葉にするのが難しい。まあ、20周年は世志琥が隣にいるということが一番大きくて、あとはDASHチサコという選手には興味があって、里村明衣子には正直、私は興味がない。ただ、負かす。それだけ」と早くも怒り心頭という感じだった。
サンダーロックvs.ベストフレンズ、世志琥vs.美闘の可能性は?
サンダーロックvs.ベストフレンズ実現の可能性は? 【スポーツナビ】
次に今回の座談会には諸事情で参加できなかったスターダムから、6月16日の後楽園大会前に話を聞いた紫雷イオのコメントを伝える。「ベストフレンズとの試合を楽しみにしていた」という部分に関して藤本は「私自身も、『これはやることになるだろうな』と思っていましたし、その準備もしていて、心構えもしていました」と話す。ただやはりさまざまな事情でできず、「選手は正直やりたかったですよ。未だにファンの方にも言われますし、ニコプロさんに出たら絶対(コメント欄に)書かれますからね。なんならアイスリボンの事務所にも電話がかかってきますから」と未だに反響があるようだ。今後実現するかという質問には「それで女子プロレスが盛り上がるならやりたいです」とまだまだ対戦したい意志はあると表明している。
スターダム1期生の美闘陽子も復帰。世志琥との再戦は? 【スポーツナビ】
ここで二上社長は「うちでやる?」とオファー。これに高橋が動揺するが、意図を察した藤本が「それ、『GAMIさん得』じゃないですか!」と突っ込み。ただそれでも、「第3のリング」が提供できるというのは、ひとつの可能性が生まれる理由にもなるかもしれない。
三者共に下半期注目は「山下りな」
3者ともに名前を挙げたのは山下りな 【横田修平】
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次の質問として下半期注目の選手を挙げてもらうと、3者ともに出た名前がOSAKA女子の山下りな。「メンタルが弱いところだけが唯一の弱点だと思うけど、リングに立つとそれを隠して試合をしているのがいい」(藤本)「WAVEでシングルをやって、世界が変わりました。こんな子がいるんだと。私のターニングポイントの試合に山下の試合を入れたぐらい」(高橋)「世志琥と彩羽匠、あと山下が並んだら、絵になるよなって思います」(二上社長)と、下半期のキーパーソンになりそうだ。
藤本が注目選手に挙げる優華(右) 【スポーツナビ】
高橋はエールを送る意味でも世志琥の名前を挙げ「せっかく戻ってきたんだから、でっかくなってほしいし、人としてもレスラーとしても大きくなって欲しい。練習でもいきいきとやってくれていて、『CATCH THE WAVE』を見ていて、準決勝で水波選手に負けてしまったのですが、試合後に起きた拍手。お客からの拍手で、それが世志琥に『これが答えだよ』と言ったのですが、すっごい感動していて、『高橋さん、プロレスって楽しいですね』ってすごく言っていました」と、復帰後の新しい経験と、さらなる成長を期待する。
二上社長は「WAVEなら夏(すみれ)。全然あかんねんけど、あいつ、なんか注目されるもん。良くても悪くても、人の目を引くのは絶対、必要だから」と、伸び代のある選手に注目している。
最後、高橋が「藤本つかさ選手っていうのにも興味はありますね」と話を向けると、二上社長は「うちでやる?」と再び仕向けるが、藤本が「それなら山下vs.高橋をアイスリボンで!」という提案をするが、「それはダメ」と二上社長が拒否。そんな商売人根性が垣間見える発言を最後に、この座談会が終わった。そしてそれぞれ「この会、もう1回やりましょう!」と次を約束し解散となった。