CLはレアル・マドリーのための大会? 抽選にも恵まれ、最多11回目の欧州制覇

レアル・マドリーが最多11度目のCL優勝を果たす

CL最多となる11回目の優勝を果たしたレアル・マドリー 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 UEFAチャンピオンズリーグ(CL)はまるでレアル・マドリーのために作られたコンペティションのようだ。5月28日(現地時間)に行われた決勝、レアル・マドリーはPK戦の末にアトレティコ・マドリーを下し、同大会最多となる11回目の優勝を果たした。

 今季は最悪の形でスタートし、シーズン半ばには監督交代に伴うシステムやチームマネジメントの変化にも見舞われた。そんな中、レアル・マドリーは対戦相手の組み合わせ抽選にも恵まれ、少しずつチームとして成長しながら決勝にたどり着き、とうとう優勝してしまった。

 今季のレアル・マドリーはパフォーマンスが安定していたわけでも、われわれを驚かせるようなプレーを見せたわけでもなかった。かといって、内容の良し悪しにかかわらず、試合に勝ってしまうようなチームでもなかった。むしろその逆だ。

 2014年に“デシマ”(10冠目の意)を勝ち取ったカルロ・アンチェロッティの解任に伴い、フロレンティーノ・ペレス会長はラファエル・ベニテスを今季の監督に選んだ。だが、ベニテスはスターぞろいのチームから最高のパフォーマンスを引き出すことはできなかった。彼の解任は11月21日に行われた第12節、サンティアゴ・ベルナベウでバルセロナに0−4と大敗した時からすでに決まっていたようなものだった。

 その後ペレスは、アンチェロッティの指揮下でアシスタントコーチを務め、昨季からレアル・マドリー・カスティージャ(Bチーム)を率いていたジネディーヌ・ジダンにチームの再建を一任した。監督としてトップチームを指導した経験はなかったものの、ジダンは口うるさく指示を出して選手たちをわずらわせることは避け、シンプルながら基本的かつ重要な部分に少しずつ修正を加えていった。そして、選手時代の栄光を振りかざすことなく、その謙虚な姿勢をもって選手たちの信頼を勝ち取っていった。

ジダンの施した思い切った修正

シーズン途中に指揮官に就任したジダン(中央上)はBBCに自由を与え、中盤にも思い切った修正を加えた 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

 ジダンは驚異の攻撃力を誇る3トップのBBC(カリム・ベンゼマ、ギャレス・ベイル、クリスティアーノ・ロナウド)に自由を与えただけでなく、唯一にして最大の問題を抱えていた中盤にも思い切った修正を加えた。イスコとハメス・ロドリゲスを先発から外し、本職ではないトニ・クロースが務めていたアンカー役にカゼミーロを起用。そしてクロースはより3トップに近いインサイドハーフに移したのだ。

 それでもなお、レアル・マドリーはCLの優勝候補とは見られていなかった。それは最多10度の優勝回数を誇るこのクラブにとってめずらしいことではあったが、無理もない。今季のレアル・マドリーはスペイン国王杯では出場停止の選手を起用したことで早々に失格となり、リーガ・エスパニョーラでもバルセロナが失速したおかげでぎりぎり優勝争いに踏みとどまっていたような状態だったのだ。

 実際にレアル・マドリーはCLでも、準々決勝はボルフスブルク(2戦合計3−2)、準決勝はマンチェスター・シティ(2戦合計1−0)といずれも対戦相手に恵まれ、しかもホームでセカンドレグを戦うことができるアドバンテージまで得ながら、紙一重の接戦を繰り返した末に何とか決勝へと駒を進めた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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