まだ底を出してないマカヒキ 「競馬巴投げ!第120回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

『GI複勝コロガシ』過去4回の成績

 [94年秋]
 (1)天皇賞・セキテイリュウオー(6・9倍)
 (2)菊花賞・ヤシマソブリン(1・6倍)
 (3)エリザベス女王杯・メモリージャスパー(4着)で沈没
 千円→1万1千円(2回コロガリ)

 [95年春]
 (1)桜花賞・ワンダーパヒューム(3・8倍)
 (2)皐月賞・タヤスツヨシ(3・4倍)
 (3)天皇賞・ステージチャンプ(3・3倍)
 (4)安田記念・ハートレイク(2・7倍)
 (5)オークス・イブキニュースター(6着)で沈没
 千円→11万5千円(4回コロガリ)

 [95年秋]
 (1)天皇賞・ゴーゴーゼット(14着)で沈没(0回コロガリ)

 [96年春]
 (1)桜花賞・ファイトガリバー(7・8倍)
 (2)皐月賞・イシノサンデー(1・9倍)
 (3)天皇賞・ホッカイルソー(2・7倍)
 (4)NHKマイル・タイキフォーチュン(3・9倍)
 (5)高松宮杯・フラワーパーク(1・5倍)
 (6)オークス・ファイトガリバー(2・7倍)
 (7)ダービー・イシノサンデー(6着)で沈没
 千円→63万100円(6回コロガリ)

千円が63万100円、同時に地獄の釜もポッカリと

[写真4]外からまたしてもチョイ差しのマカヒキに賭ける! 【写真:乗峯栄一】

 何といってもハイライトは96年ダービーだった。あれからもう20年になるが、たぶん一生忘れられないダービーになるだろう。あれからも折に触れて「GI複勝コロガシ」をやっているが(GIの数が増えたこともあって)10万以上越えたことがない(悲しい!)。

 96年ダービー時は、コラムを掲載していたスポニチ(関西版)では“夢の100万到達なるか”とデカデカと一面扱いだった。

 もともとスポニチ(関西版)のわが「乗峯栄一の賭け」は競馬雑誌で“日本一当たらない予想コーナー”と折り紙がついていた。「日本中調べたんか、全部?」と聞いたら「東京と関西と北海道と中京は調べました」と答えが返ってきて「ああ、そうなの」などと言って黙ったりした。

[写真5]リオンディーズの脚ももちろん互角以上の威力 【写真:乗峯栄一】

 長年の読者はみな「乗峯栄一のマけ」と読んで楽しむ。「当たらないので売る予想コーナー」とか「厩舎関係者も馬名を書かないでくれと哀願する“予想界の不幸の手紙”」とか、言いたい放題言われてきた。その年の春の連続的中大異変についても、一部には「オッサン、最後にはズッコケルぞ」と、まことしやかな噂が流れていたのである。

「アホなやつらやなあ。最後にズッコケたって元手の千円損するだけやないか。このネタミ者どもが、ハッハッハ」と、ぼくは噂を聞くたびせせら笑う。

 事実、NHKマイルCのあとも快進撃は続く。高松宮杯フラワーパーク◎(この春はとにかく田原と心中と決めていた)で1・5倍。オークス・ファイトガリバー◎で2・7倍。千円の元手はついに63万100円まで跳ね上がった。夢の100万到達は俄然現実味を帯びてきたのである。この頃になるとスポニチ(関西版)は毎週一面扱い。週刊誌の取材は来るし、予想検討会を開くと立ち見まで出る盛況になるし「やっと来たなあ、わが世の春」と天国を実感する日々だった。しかし同時に地獄の釜もポッカリ口を開けて待っていた。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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