有終の美ワンアンドもう一度 京都記念 「競馬巴投げ!第115回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

競馬コラムを書くときの一つの自己規範

 気取った言い方だが、競馬コラム書くとき、一つ自己規範にしているものがある。「競馬以外から始める」というものだ。ナメた話だ。せっかく数少ない表現の場を与えてもらっているというのに。

 神風の伊勢の海の大石(おひし)に 這ひ廻(もとほ)ろふ細螺(しただみ)の い這ひ廻り 撃ちてしやまむ

 これは「古事記」神武東征の段に出てくる久米歌と呼ばれるものだ。久米(来目とも書く)氏は神武東征時の軍事主力部隊であり、その戦歌(久米歌)がほとんど「撃ちてしやまむ(撃って終わろう・撃たずに終われるか)」で終了するところから、この最後のフレーズが戦時中のスローガンとされたこともある。

 前掲の久米歌、通常は「伊勢の海の大きな石に這い回っているシタダミ(巻き貝)のように、這い回ってでも敵を撃ち滅ぼしてしまおう」と訳される。

「敵をやっつけたい」という強い欲求があり「どれぐらいやっつけたいかというと、もう這い回ってでもやっつけたい、そう、ちょうど、あの伊勢の海によくいる巻き貝が波と共に岩を這い回るように」という比喩を使って表現されたと考える。いわゆる(「撃ちてしやまむ」を言うための)序詞(じょし・じょことば)という考え方だ。

 これを折口信夫(しのぶ)という国文学者が転倒させた。大事なのは「撃ちてしやまむ」ではなく、その前の「伊勢の海にいる巻き貝が這い回るように」の方であり、さらに大事なのは「伊勢」を修飾するためのカザリのように思われている「神風の」という枕詞(まくらことば)だとする。なぜなら「枕詞にはライフ・インデキス(生命指標)があるからだ」というのが折口の大きな主張だ。

 古代の歌謡というのは必ず「叙景」→「叙心」であって、その逆はない。自分の欲求を言うために、似たような景物をもってきて比喩として使うことはない。とりあえず、近くのもの、特に土地の精霊の宿るものから謡っていき、うまく自分の感情の高まりにつながって行けばいいし、行けなければ、それはそれで仕方ない、とにかく景物から謡うしかないと、古代人は皆そう考えていたと言う。

 これをやってみたかった。何だか分からない手近なものから話題にして、それで競馬に辿り着くという、そりゃ、うまく辿り着けないかもしれないが、それはそれで仕方ない、そんなコラムは無理だろうかなどと、大きなことを考えた。

「横山くんは考えてますよ、色々とね」

 14年皐月賞のあと、橋口調教師に取材に行った。

「横山くんとのコンビは、今度のダービーで22回目のGIになるんじゃないかな。勝利はまだない。2着は7回あるけどね」と橋口調教師は笑う。ローズバドで3回、ツルマルボーイで2回、ハーツクライで2回の2着がある。これは知らなかった。橋口厩舎、ダービーに17回参加し、19頭を出走させるも、2着が4回あるだけというのは調べて知っていたが、そうか、横山典弘とのコンビも惜敗が続いているのか。

「ダービーでまた内枠引いたらどうなるんですか? またドンケツまで下げて大外ブン回しですか? 先生、ルメールとか呼べないんですか?」などと、ぼくはとんでもなく失礼な質問をする。

「いやあ、横山くんは色々考えてますよ。そりゃ彼は考えてるよ、色々とね」と橋口調教師はそう何度も繰り返して微笑む。でも、その繰り返しは、ある意味、橋口調教師が自分自身を納得させるための呪文のようにも思えた。

「じゃあ、乗り方に注文は出さないんですか? 末脚一本の乗り方はやめろとか」

「出しません。すべてお任せです。いや、横山くんは考えてますよ、色々とね」とまた呪文が出る。

橋口調教師は“久米歌”の調教をやっていた

 しかし、ダービー後、結果が出て、定年解散を前にして見事ダービー戴冠、横山典弘好騎乗となると、ぼくはまた自分に引き寄せて勝手なことを考える。

 橋口調教師は「土地の精霊の宿る景物を謡うことしか出来ない。それがうまく“撃ちてしやまむ”まで行けばよし、もし行けなくともそれは仕方のないことなのだ」という、つまり“久米歌”の調教をやっていたのではないかと。

 神武東征というのは、日向(今の宮崎県)から多くの苦労をして畿内へ入ってきたことを言うが、日向の国のどこであったかは大きく二説ある。宮崎県北部の高千穂峡と、宮崎県南部、霧島火山群の一角・高千穂峰である。

[写真8]都城市内から見上げる高千穂峰 【写真:乗峯栄一】

 都城に行ってみて驚いたが、都城という街はこの高千穂峰に抱かれるように広がっている。地元で“霧島”といえば、この高千穂峰を指す。[写真8]

 みつみつし久米の子らが 垣もとに植ゑし椒(はじかみ・山椒)口ひひく(口が疼く)吾は忘れじ 撃ちてしやまむ

 この久米歌も唐突に「撃ちてしやまむ」となる。

 都城周辺から近畿へは池江泰郎、橋口弘次郎という大きな実績の調教師を輩出している。「山椒が辛い」としか言わない、よく意味の分からない“久米歌”を謡いながら、あるいはこれが「競馬界の神武東征」だったのかもしれない。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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