常に全力の人――元阪神・加藤康介の挑戦 3度目の戦力外からのトライアウト舞台裏

岡本育子

今季はケガで長期離脱も現役続行へ

ことし3度目の戦力外通告を受けた加藤は、現役続行を目指して2度目の合同トライアウトに挑戦した(写真は2013年) 【写真は共同】

 11月10日、静岡県草薙総合運動場の硬式野球場で開催されたプロ野球12球団合同トライアウト。参加選手のほとんどが私服でやってくる中、その人は阪神のタテジマのユニホームに身を包んで、朝8時過ぎに選手受付場所へ現れた。今回の受験者47人中、最年長の加藤康介投手(37歳)である。

 加藤投手は2000年のドラフトで逆指名、日本大学から2位で千葉ロッテに入った。07年3月に金銭トレードで移籍したオリックスからは在籍2シーズンで戦力外を告げられ、トライアウトで声がかかった横浜(現・横浜DeNA)の秋季キャンプに参加して入団。翌10年に再び戦力外となり、今度はトライアウトを受けずに移籍が決まった阪神での活躍は、まさに不死鳥のようだった。

 ところが昨年は夏に腰を痛め、今季は右股関節痛で長期離脱を余儀なくされた。7月に昇格したものの1軍登板は6試合のみで、10月に入ってすぐ自身3度目の戦力外通告を受ける。球団からは自由契約以外の選択肢も提示されたと推測するが、本人は「もう既に答えは決まっていた」と現役続行の意向を伝えている。

オファーを勝ち取りに行った8球

 そして迎えた合同トライアウト当日、地元の方々や清水市立商業高校時代の先輩、同級生も駆けつけ、さらにこれまでの感謝を込めて声援を送る阪神ファンの前で、渾身の8球を投じた。結果は見逃し三振、セカンドゴロ、センターフライの3者凡退。マウンドをあとにする際もまた、大きな拍手が背中に降り注ぐ。登板後はテレビや新聞、雑誌などの取材が延々と続いたのは言うまでもない。 

 どんなことを思って投げた?
「最後になるかもしれないので、みじめな部分は見せられないし、地元でもあるから情けない姿を見せたくない。応援してくださった方の期待を裏切ることはしたくなかった。最後に地元で、この年で受けるトライアウトが静岡というのも縁なのかなと思って、プラスに考えながら」

 その結果には「投げるまでに自分の中でいろんな葛藤があって、もしかしてダメなんじゃないかとか考えたりしました。1球投げるまで何とも言えない感じだったんですけど、終わってみて気持ちの中でスッキリしたところもあります。それなりに出せた、やりきったという思いです」と、言葉通りの爽やかな笑顔を見せる。

 とはいっても「最後が地元で」「スッキリした」という言葉が少し気になり、トライアウトから1日経って再び話を聞いてみた。心のどこかに“締めくくりをしよう”という思いがあったのか、と。すると「終わるために行ったわけじゃない。そこは間違いないです。オファーがあれば、それを勝ち取りたいと思っています」と即答だった。

「オファーがなかったとしたら最後になるかもしれないので、悔いは残したくないという思いは強いです。だから今ある一番の、100%を出したかった。それくらい僕は懸けていた。周りはそこで終わりと思うかもしれませんが、それだけの思いでやってきました。でなければ勝ち取れないから」
 死力を尽くしたという自信も伝わる。

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著者プロフィール

兵庫県加古川市出身。プロ野球ナイター中継や、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって30年以上。ウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それから阪神の2軍を取材するようになり、はや20年を超える。

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