仲間が記憶する羽生結弦の小中学生時代 諦めずに練習する姿、リンク外の表情
花城を励ました羽生の一言
羽生はリンクを離れれば、練習とは別の表情も見せたという 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
吉田はこう振り返る。
「性格的には明るい感じでした。明るい面もありつつ、まじめな面もあり、周りとのコミュニケーションも積極的でした。先生方とも練習の話だけでなく世間話をしたり、保護者の方ともふつうに話していたり」
打ち解けるのも早かった。
「クラブに男の子が4、5人しかいないことと、歳が2つしか違わないこともあって、兄弟みたいに仲良くしてもらいました。陸上トレーニングで一緒だったり、遠征先で一緒にストレッチやったり。練習後、バレーボールみたいな遊びをしたり」
花城にも覚えている出来事がある。羽生と花城は七北田中学校の先輩と後輩でもある。羽生の卒業と入れ替わりで花城が入学した。
「私はゆづ君の次の代のスケート部部長になりました。そのとき、『部長が校内誌に載せる文章を書かされるから、こういう話を書いたらいいよ、書き方はこう』と教えてくれました。そうそう、中学校ではこんなこともありました。ゆづ君を教えていた先生方もいたのですが、『あなたもスケートをやっているんでしょ、結弦君は授業中の手の上げ方も美しかったのよ』って。ふだんからスケーターなんだなと思いました」
あるいはこんな言葉を覚えている。
「具体的にいつだったかは覚えていません。おそらく、全中の1つの県代表枠の選考大会が3つあるんですけれど、その選考会と選考会の合間だったと思います。ぽろっと言ってくれたのが、『出る杭は打たれるけど、出過ぎると誰かが引き抜いてくれるから頑張ってね』。そう励ましてくれたのが心に残っています」
練習で、練習以外での姿を見ていた吉田は、当時、こう思っていた。
「いろいろな面であまりにもすごすぎて、目標にはならなかった。ただすごいな、と感じていました」
羽生から花城宛てに届いたクリスマスカード
「リンクも練習ができなくなったし、受験勉強もあるし、いろいろ悩んだのですが、やめようと」
やめた今も、フィギュアスケートの中継があれば観る。ソチ五輪もテレビで観ていた。
「小さい頃から、『オリンピックで金メダルを獲るだろうな』とずっと思っていたんです。観ながら応援していましたが、とうとうやったな、と感じました」
話すとき、とてもうれしそうだった。
吉田はソチ五輪で羽生が金メダルを獲得した時、テレビ観戦していた。「とうとうやったな、と感じました」 【Getty Images】
「(グランプリシリーズ)中国大会の6分間練習のときは、リンクで練習している時間でしたが、リンクにもテレビがあって放映していたんですね。(他の選手と衝突する)アクシデントがあった時、滑っている子たちもお客さんもテレビを観て、みんなが『大変、大変』とすごい心配したんです。その様子とともに、母がゆづ君のお母さんに『沖縄でもみんな心配しているよ』とメールしたんです。そのお礼でカードをいただきました。カードをリンクに飾ったら、みんなが喜んでくれました」
そしてこうも語った。
「今、受験勉強の真っ最中なんです。『今頑張っていることは3カ月後、半年後にしか出ないよ』と言われます。そのとき、ゆづ君は、小っちゃいときから頑張っていたことを今発揮している、そして今も練習して溜め込んでいる、だからずっと第一線で活躍できるんだなと思いました。努力を怠らなかったからこそです。お手本にしています」
子供の頃から、誰よりも、と言っていいほど真剣に練習に励み、諦めることなく取り組んできた。同時に、後輩たちを思いやるやさしさも持ち合わせていた。
その姿を知る2人は、今なお、羽生結弦の当時の姿をしっかりと心にとどめている。そしてその姿は、財産でもある。
(文中敬称略)