オランダで芽吹いた日本人SBの才能 「狙うはリオ五輪」挑戦続ける21歳

中田徹

ドルトレヒトでプレーするファン・ウェルメスケルケン・際。この21歳の日本人SBに話を聞いた 【中田徹】

 今年5月10日のことだった。僕はベルギーに向かっていた。カーラジオから聞こえてくるのはオランダリーグの多重中継だった。現場がトゥエンテvs.ドルトレヒトに切り替わった。実況アナウンサーが叫ぶ。

「今日、ドルトレヒトの日本人、○×△□がオランダリーグデビューです!」

 えっと僕は驚いた。まず、ドルトレヒトに日本人選手がいたことを知らなかったし、その名前が全く聞き取れなかったからだ。スタンダール・リエージュのホーム、スタッド・モーリス・デュフランに着いてからインターネットで名前をチェックする。『Sai Van Wermeskerken』(ファン・ウェルメスケルケン・際)がどうやらドルトレヒトの日本人選手らしい。一体、彼は何者なんだ!?
 
 後日、宮市亮に会ったとき、「ドルトレヒトに日本人選手がいたらしいじゃん」と尋ねてみた。

「はい、僕も全然知らなかったので驚きました。試合後、少し話したんですが、とても良い子でした。名前がオランダ人だったんですが、日本語をしゃべるのでホッとしました(笑)。僕は高校卒業してすぐヨーロッパに来たから、周りの日本人選手はみんな先輩ばかり。だから際くんは僕にとってヨーロッパで初めての後輩。彼と知りあえてうれしかったです」

 やがて新シーズンがやってきた。今季のドルトレヒトはオランダ2部リーグで戦う。その開幕前日の8月6日、僕はファン・ウェルメスケルケン・際という日本人選手に会いに行ってみた。彼は驚くほどオープンな性格の21歳だった。「宮市選手がヨーロッパで後輩ができてうれしがっていたよ」と告げると、「良かった。そう思ってくれていたんですね」と喜んだ。そして、自然な流れでインタビューが始まった。際という名前には母親の「国際的な子に育ってほしい」という願いがこもっている。名は体を表す、そのことわざ通りのインタビューになった。

オランダに来て良かった

――ドルトレヒトに来たきっかけは?

 僕はマーストリヒト(オランダ)に生まれて、2歳で日本に引っ越しました。小学校を卒業したとき、親が「一回、自分の生まれた国を見ておけ」ということで2週間ぐらいオランダに行きました。その時、ドルトレヒトとNECで練習させてもらったんですが、僕は交互に両チームに行っていた。当時のNECはエールディビジで有名なチーム。かたやドルトレヒトは2部リーグの“街クラブ”的なポジションだったので、両極端を見ている感じで面白かったです。ドルトレヒトにはペーター・ドライファー(ユース育成担当マネジャー)さんという人がいるんですけれど、日本に帰ってからもずっと僕は彼とコンタクトを取っていました。例えば、僕はFWだったので強いシュートを打ちたいなと思ったら、お父さんに「強いシュートを打つための練習はどうやるのか?」と(オランダ語で)書いてもらって、メールで返事をもらっていました。そういうコンタクトをずっと続けていたんです。

 高校を卒業するとき、ペーターに「オランダに行きます。練習参加させてください」とてお願いしたら「いいよ」と口を利いてもらった。それで最初の1カ月、トップチームでやって、「オランダのサッカーのベースと、体を作ってください」ということでヤング(リザーブチーム)へ行って、結果的に2年間やることになって、3年目の今トップチームにいます。ペーターには、こっちに来てもいろいろ言われましたしね。フェイントの種類を増やせとか。「シザースを使えばもっと楽だよ」とシザースの練習を始めたり、いろいろ指摘してくれるのでありがたいです。

 あとはヨハン(・フェルスラウス)というコーチから守備の仕方を教わった。ヤングの練習は午後なんです。だから午前中、ヨハンと一緒に個人トレーニングをいつもやった。クロスの練習、午前中にはキックの精度を上げること、競り合いとか。サイドバック(SB)を始めてからはロングボールを蹴ってもらってヘディングするとか。その個人練習が大きかったです。僕もヤングの練習に慣れていって、自分がしたいプレーができるようになり、無駄がなくなって疲れなくなった。なので個人練習をする体力がありました。そういうところからも自分のレベルアップを感じましたね。

――海外で挑戦してみてどうだった?

 良かったです。僕のプレースタイル的にも海外のほうが良かったと思います。説明は難しいですけれど、僕の中ではオランダ的サッカーのほうがやっていて楽しい。あと経験値が違う。日本にいるより経験できることが違う。こっちに来て良かったです。

ヤングのチームでもベースが高い

――一番大きな違いはリザーブリーグだと思う。

 それは本当に大きいと思います。日本だとリザーブリーグにあたるのは大学なんですかね。リザーブリーグと言ってもレベルは高いです。リザーブリーグでは、どこのチームも3選手ぐらいトップチームから降りてくるから試合の質も上がりますし。対峙(たいじ)する選手が相手のトップチームから来た選手だったりすると、「あ、このレベルなんだ」というのが分かりますし、「ここまで持っていかないといけないのか」と知る部分は大きいです。

 フェイエノールトはみんな、やっぱりレベルが高かった。カジム・リチャーズ(元トルコ代表)もたまたまいて、うちのでかいセンターバックが吹き飛ばされていました。「やべえなあ」と思いながらやっていましたね。やっていてすごく楽しかったです。また、フローニンゲンとかヘーレンフェーンはヤングのチームでもベースの部分がやはり高い。

――この場合のベースとは? 日本人だとついついテクニックと考えがちだけれど。

 勝負強さじゃないですか。いや、すごいっすよ。少なくとも決めるところは決める。球際はもちろん強い。あとは時間の使い方。ヘーレンフェーンとかだったら、リードしていたら簡単にボールを回してきますし、ガッと詰めに行くと簡単に裏へ出されてしまう。サッカーを知っているという感じです。ドルトレヒトのリザーブチームはそこまでいっていない。相手は“ザ・プロ”。「あ、これがサッカーだな」と感じる。すべてうまいです。体もでかいですし。

プレースタイルは「海外のほうが合っている」と本人は語る 【VI-Images via Getty Images】

――体の大きな相手にSBとしてどう対応している?

 今、身長は178センチですが、練習を見てもらえれば分かるように、この中に入っちゃうと小さい。でも、相手がでかいので競り合いで思いっきりぶつかりに行っても倒れない。だから、トゥエンテ戦は思いっきり体を相手の後ろから投げ出してヘディングした。それでヘディングで勝てたり、相手がトラップをミスしたらそれでオッケーだし、ファウルになることがあまりなかった。そういう面では(体が小さくても)競り合いがやりやすい。でも、やっぱり1対1で、相手がめちゃくちゃ速くなくても手の力が強くて入っていけないことがありますね。初めは腕の使い方に苦労しました。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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