恩田美栄がコーチに専念する理由 フィギュアスケート育成の現場から(5)

松原孝臣

2007年に引退してからの日々

現役時代はダイナミックなジャンプを武器に日本代表として活躍してきた 【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

「そうですよね、コーチになって、けっこう年数が経つんですよね」
 恩田美栄は快活に笑う。

 現在、32歳になる。
 名古屋市に生まれ、やがてスケートを始めた恩田は、ダイナミックなジャンプを武器に、2002年のソルトレイクシティ五輪をはじめ、世界選手権や四大陸選手権、グランプリシリーズなどに出場し、日本代表として活躍してきた。

 競技生活から退くことを発表したのは07年の春のこと。
 すぐさま「プリンスアイスワールド」などでプロフィギュアスケーターとして活動を始める。

 同時に指導も始め、08年5月には「スペリオール愛知FSC」を立ち上げた。その後、コーチに専念し、今日まで歩んできた。
 練習が休みの月曜日を除き、平日はモリコロパーク、週末は邦和スポーツランド、それぞれのスケート場で指導にあたっている。

名古屋でクラブを立ち上げる

月曜日を除き、地元・愛知のスケート場で指導にあたっている恩田美栄 【積紫乃】

 愛知県名古屋市と言えば、長い歴史を誇り、実績を重ねてきたクラブがいくつも存在している。そして名のある指導者も少なからずいる。その地で、いちからクラブを立ち上げて成り立たせるのは決して楽ではないのではないか。その点に関して、迷いや不安はなかったのだろうか。

 恩田は言う。
「例えば、地域にクラブがない、あるいは1つしかないようなところで始めるのとは違いますね。名古屋って、これだけクラブがあって、しかも大御所の先生方ばかりじゃないですか。そこで独立してやっていること自体、すごいねと言われることがあります」

 立ち上げた動機については、このように説明する。

「自分も若かったので(笑)。作ったらうまくいくだろう、というような感じでスタートしています。安易と言えば安易かもしれませんが、でもそれがいいときも悪いときもあると思うし、やってみればいいと行動した自分はOKだったと思っています」

 そのポジティブなものごとの捉え方が、恩田らしくもあり、思い切った行動へとつながっていた。

「まあでも、今になって思えば、大変なことをやってるよね、とは実感しています」
 本人は苦笑する。

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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