ブラジル的オープニングのお作法とは? 開幕を迎えるまでの経緯を振り返る

大野美夏

完成前にオープンは当たり前?

完璧とはいえないまま本番を迎えるW杯。そこにはブラジルの国民性や内情がよく表れていた 【写真:ロイター/アフロ】

 ついに待ちに待ったワールドカップ(W杯)ブラジル大会が始まる。

 開幕の日を迎えるまで、FIFA(国際サッカー連盟)がどれほど肝を冷やしたことだろう。ほとんどのスタジアムが予定通りに工事が進まず、頓挫する可能性まで取りざたされたこともあったが、なんとか試合が行われそうだ。W杯は間違いなくブラジルで開催される。

 インフラ整備、スタジアム建設、空港改修とどれをとっても完璧とは言えないまま本番を迎えるこの姿は、きちんとした国の人から見ると驚きだが、ブラジル的にはありふれた光景だ。というのも、ブラジルではお店の新規オープンに工事続行中というのはよくある話。工事が終わらないままオープンの日を迎えてしまうというのは、ブラジル人にとって十分に許容範囲なのだ。完璧な状態で気持ちよくお客様をお迎えしたいというおもてなしよりも、多少、装飾や電気工事が完成していなくても営業できるならしてしまえ。営業することに意義があり、お客様の利便性はあまり考えていないような接客ぶりだ。失敗しながらも、そのうちよくなるだろうという希望的観測の下、営業が始まる。

予算は膨らみ工事は遅れ……

 今回のW杯も同じことが言える。12会場という計画だけは立派だった。通常よりも多い12会場になった理由は、各州のサッカー協会の力関係。ブラジルサッカー連盟(CBF)も政府も大盤振る舞いして、プロサッカーリーグの盛んでない地域まで開催地にしてしまった。

 当初の予算は現実に見合ったものだったが、工事の遅延とともに12スタジアムの建設費は当初の予算26億レアル(約1188億円、CBFが提示)から、89億レアル(約4065億円)を超えるところまで膨らんだ。内訳は公費が93.7%で6.3%のみが民間資金からの調達だ。結局予想通りの展開で、FIFAが出した期限通りに完成はしなかった。なぜこれほど工事が遅れるのか? 日本人には理解がしがたいだろうが、ブラジルではこういう展開がありがちだ。

 例えば、商品を買って配達の日を決める。一日中待っても、商品は届かない。そこに、一本の電話が入る。今日はスケジュールがいっぱいになり、営業時間が過ぎて残業はしないので、もう届けられないため明日の朝届けます。翌日の午前中も待つが来ない。午後も待つ。なかなか来ない。そこに一本の電話が入る。今日は配達の車が故障したので、明日届けます、と。そして、翌日もまた一日中配達を待つのであった……。

 ブラジルで物事が進まない理由はいろいろなことの積み重ねではあるが、今回のW杯の場合、スタート時点で余裕をかましすぎたのがまずかった。

スタートが遅れた原因

 そもそも2007年、開催国に選ばれたにもかかわらず、準備をすぐに始めなかった。FIFAのゼップ・ブラッター会長が「工事に取り掛かるのが遅すぎた。これほどW杯準備が遅れている国はかつてなかった」とあきれたほど。7年あれば余裕で間に合ったことではあるが、短期間でなんとかしようなんてとても無理な話だ。

 ブラジルは世界で税金、許可の手続きなどお役所仕事が一番厄介な国と言われる。計画に乗っ取って事を進めようとしても、お役所の許可が下りずに停滞することがよくある。日本など海外の企業がブラジルに進出する時も、事業開始まで予想以上に時間がかかると言われる。当然、余計なお金もかかるということだ。

 開幕戦の舞台はアレナ・デ・サンパウロだが、元々サンパウロ市はサンパウロFCのホーム、モルンビースタジアムを改修して開幕戦を迎える予定だった。そのため、地下鉄をスタジアムまで伸ばす計画を立てていたが、開催地決定から3年後の10年にスタジアム周辺に土地がなく、W杯を迎える環境整備ができないなどで断念。コリンチャンスがホームスタジアムを新設し開幕戦を迎えることにした。しかし、工事開始が遅れたため、13年のコンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)には間に合わないことが分かっていた。

 一番早く工事を開始したのはミナスジェライス州、ベロオリゾンテのミネイロンスタジアムだった。ミナスジェライスの狙いは、サンパウロが開幕戦開催から脱落した時に名乗りを上げることだった。

 10年3月、当時のCBF会長リカルド・テイシェイラが、まだ工事を開始していなかった開催都市にたいして、工事が遅れている理由を提出しろとかみついたことがあった。提出しない都市は、開催都市から外すと。この時点では12年12月にすべての都市のスタジアムが完成する予定だったが、その後多くのスタジアムで予算オーバーになり資金繰りの問題が出た。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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